反吐が出るけど見てほしい映画。
「母という名の女」
この映画は、胸くそ悪くて、ヤな気持ちになること必至なんだけど、なぜか見てほしいのだ、多くの人に。
ネタバレしまくりですが、一生懸命書きますので、読んで、そして、見てください。
メキシコのリゾート地バジャルタの海沿いの家に2人きりで暮らす姉妹。17歳の妹バレリアは同い年のマテオの子どもを妊娠しており、姉クララは離れて暮らす母アブリルを電話で呼び寄せる。アブリルは献身的に娘の世話をし、母に不信感を抱いていたバレリアも徐々に心を許していく。やがて無事に女の子が生まれカレンと名付けられるが、カレンの世話をするうちにアブリルの中に独占欲が芽生えてしまう。カレンを自分の管理下に置こうとしてバレリアとの関係が悪化する中、アブリルは自身の深い欲望をついに実行に移す。(映画.comより転記、一部修正)
原題は、「アヴリルの娘たち」という意味で、母よりも娘二人にフォーカスされている。物語の冒頭はそうだ。そこに母は存在しない。(父もいない。クララとバレリアは異父姉妹)
娘たち、特に次女のバレリアは自由気ままな生活を送っている。それを疎んじる姉クララ。朝っぱらから彼氏とセックスにばかり興じて、妊娠してようが気にしない。姉は見かねて母に告げ口をする。
途中まではいたってフツーだ。若くして子どもを産んだ娘は、無邪気すぎて、母はそれを何とかせねば、と思った。どこにでもいるフツーの母親だ。
けれど、アヴリルは孫娘をバレリアから奪い去り、行方知れずになる。親である彼らの意志なんて無用で、用意周到にマテオの親からも同意を得て、自分がカレンを育てることにする。
まぁここまでも予想はできる。ちょっと常軌を逸した親ならやってしまうかもしれない。
しかしここからが大変だ。アヴリルは、マテオを呼び寄せて、彼と関係を持ち、マテオも彼女の言いなりになり(彼は娘がかわいかったのだ)、二人は恋人同様に暮らすのだ。とりあえず、そのあたりからヘドが出そうになる。
んでもって、母は娘たちの住んでいる家を売りに出そうとするのだ。住んでいる娘たちに何の知らせもなく…。
このストーリーは、「母性」について描かれているわけではない。これが母性というなら世の中の母親の子への愛情は至高でしかない。またどの生き物の親もこんなことはしない。するのは人間だけだ。
アヴリルは何がしたかったんだろうな。若くて未来ある娘の姿に焦燥を感じたのか。娘が「母」として成長していく姿に嫉妬したのか。自分独りで生きて行くことに耐えかねたんだろうか。
***
ここで、原題の意味について考えてみる。あくまで「アヴリルの娘たち」に焦点を当てる。
姉クララの容姿は冴えなく、"年頃"なのだが、太っていて、動きも緩慢で、性格もどちらかというと暗く、鈍重という言葉がこれほど相応しい役柄もあまり見たことがない。
母アヴリルは、このクララに対して、平然と、太っていてヤバイ、下剤飲みなさい、みたいな辛辣な言葉を投げかける。そこに一切の思いやりは感じられない。
妹のバレリアは、17歳、花真っ盛りを謳歌していて、手足も細く長く、スタイル抜群でアヴリルの見た目を受け継いでいるのはこちらだと思う。実際、マテオはバレリアの虜だ。
この姉妹は母の所有する一軒家に一緒に住みながら、共通点は母がアヴリルというだけなのだ。決して仲が良いとは言えず、私が感じたのはクララのバレリアに対する静かな重たい妬みだ。
私は自分が「姉」という立場で、「妹」にはわからない空気の読み方をすることがあると感じる時がある。本当に言いたいことを言えなかったり、変に遠慮してしまうのだ。クララの言動は全てではないけど、わかる気がする。
とは言え、この物語の展開は色々推測しながら見ないといけない。唐突な場面展開も多い。けど、解る。とにかく何だか理解できるのだ。
そして、なんと言ってもラストが圧巻だ。バレリアは強い。細っこくて、幼くて、彼氏や娘まで何もかも母に奪われたけど、とにかく強いのだ。そこを見てほしい。彼女の最後の笑顔(安堵なのか)で、私はニヤリとしてしまった。
2018年67本目。シネリーブル梅田にて。
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