「ラッキー」なワタシを信じるのみ!
「フォルトゥナータ」
最近なんかのブームなんでしょうか。シングルマザーを主人公とする物語の。しかもどっちかというと気の強い、見た目はハデな感じのヤンママ(←これ、死語?)の。そういう女性に対する偏見の目って凄まじくて、大抵、そういう「世間の目」を通しての彼女たちを切り取ったものが多いと感じる。
「幸運」を意味する名前にもかかわらず、フォルトゥナータの結婚生活は夫フランコの暴力で破綻し、離婚が間近だった。独立して生きるために美容師の闇の仕事を懸命にこなし、自分の店を持つことに順調に突き進んでいたが、一人娘バルバラが心理カウンセリングを受け始める医師との出会いが運命を変える。(映画祭公式サイトより)
イマドキなちょっとカチキレてるシングルマザー(あ、別れていないのか)の話なのに、随所にギリシャ神話の一部を読み上げるシーンがあって、詳細は覚えてないけど、それも暗喩として込められていたのかなと思う。というのが、昔女優だったチカーノの母親が、ボケて、至るところでそのセリフを高らかに発するシーンなんだけど、一見何の意味もない、呆けたおばあさんが出てくるだけに見えて、フォルトゥナータの現在を表しているというのか、世情を反映しているというのか。そこまで深くないのかね。
フォルトゥナータの幼馴染のチカーノは、本人は統合失調症で、アルツハイマーの老母の面倒を見ている。彼女はそんな彼を見捨てない。腐れ縁ってのもあるけれど、彼女は自分を裏切らない彼に対して絶対的な信頼を寄せている。その関係も、暴力夫からすると気に食わない。
にしてもだ。よくある、よくあるんだけど、そんな暴力夫は警官だ。だから余計に憎々しい存在で、彼はその権力を笠に着て、フォルトゥナータから娘を取り上げる。
幼い娘バルバラは、自分の担当精神科医マウリツィオが母親と近しい存在になったと気づくやいなや母親に対してものすごい嫌悪感を抱き、父親になびく。私はそれに対してとても嫌な感じを受けた。フォルトゥナータはどんなにブッ飛んでてもどうしたって、娘のことを考えているのにだ。
バルバラの中に少なからず女の部分があって、母が母である前に女であることを感じた時点で、彼女は母に対して嫌悪感を抱いた。「私の先生をママが奪った」とまで言わしめた。それが嫌すぎた。それは、私がバルバラより、フォルトゥナータに対しての同情心や共感した部分が多いからなんだろうと思う。
それでも、この映画は、はなから主人公に共感してほしいなんて思っていないみたいだ。フォルトゥナータにとても寄り添いたいのに、何がダメなんだろう。夫も娘も彼女の味方じゃない。彼女の味方だと思った医者のマウリツィオだって、結局は匙を投げた。彼は彼女の手を振りほどいたのだ。幸運を掴みたいのに手が届かない。主人公本人の名前がこんなに哀しい作品もない。それでも彼女は突き進む。自分自身だけを信じて。
フォルトゥナータ役のジャスミン・トリンカの眼差しが、すごくいい。メイクで強調しているのかもだけど、それでも、すごくいい。
2018年51本目。イタリア映画祭にて。
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