受け入れる側が、常に正しいのか不安になってしまったドイツコメディ。
「はじめてのおもてなし」
この邦題は良く出来ていると私は思う。ドイツは他の欧州先進国同様、前の大戦以降、幾度となく各国からの移民、難民を受け入れてきている。けれど、受け入れる側として、真っ向から対峙する「コメディ」ってあんまりなくて(日本に来てないだけ?)、「はじめての」はある意味、ドイツの難民受け容れ体制を皮肉ってるよなぁって。
これまでも何度も何度も受け入れてきている(トルコやベトナムやら)のに、あたかも今回初めて難民、移民を受け入れるかのような。そりゃブルジョワ家庭のハートマン一家にしたら、「はじめて」なのかもしれないけれど、それでもここまで彼らに対して無知でいるってのは、ドイツという国全体が、寛容でいて無関心の表れなんじゃないかなぁと思ってみたり。
いや!難しく考えすぎですね!
とにかくハートマンファミリーは受け入れるんです、ナイジェリア難民のディアロを。
で、周りがギャーギャー騒いだり、一家の誰かが騒ぎを起こしたり、一番マトモなのは、受け入れる側のハートマンファミリーより、受け入れられる側のディアロなんじゃないの?って。
彼に出会って、日常の何気ない事柄が実はすごく大切なことだって、それぞれが気づかされて、みんな良い方向に変わっていくってのもあるのかな。
印象に残ってるのが、ディアロとハートマンママ(アンゲリカ)のやりとり。(以下、一言一句同じではなく、そういうニュアンスだったと思って下さい)
ディアロ「旦那さんをもっと尊敬しなきゃ」
アンゲリカ「ここはね、あなたの国とは違って、女性が男性を尊敬しなくてもいいのよ」
ここで、なんかハッとした。多分ディアロの言う「尊敬」とアンゲリカの言う「尊敬」は、観念的にも、程度にも違いはあるのかもしれない。でも、ドイツだからって(非イスラムの国だからって)、尊敬しなくてもいいわけじゃないし。私自身が、そういう意味で、ごく当たり前のことに気づかされたというか。
実際、この夫婦は互いに小馬鹿にし合って、関係が壊れかけていて、どこかで歩み寄りたいって思っていても、そのキッカケすら作ることも出来ず、意固地になっていた。だから、ディアロはある意味、この一家の救世主なんです、リヒャルトとアンゲリカの夫婦だけじゃなく、彼らの子供たちで「迷えるオトナ」のフィリップにゾフィも含めて、みーんなの。
長々と書いたけれども、わかりやすく、楽しめるお話です。ディアロにとても好感を持てるし、だからと言って、難民受け入れが容易くないってことも理解できるし、時に笑いもありつつ、彼の祖国の悲惨さも知ることができる。
誰かの心に深く深く残るモノかというと、そうではないのかもしれない。全体的に、サラッと、カラッとしてるし。でも今、私たちが、世界各国が直面している難民問題について、考えるキッカケにはなる作品です。
あと難民問題に関係なく、いわゆる「中高年の危機」、ミドルエイジ・クライシスに直面している人、なんたらシンドロームになりかけている人や「自分探し」で自分を見失っている人(ああ、もう全ての人ですね)には、何かを見つけたり、前進したり、或いは踏み止まったりする作品じゃないかなと。
2018年12本目。シネリーブル梅田にて。
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