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おばあちゃんの盆踊り

おばあちゃんは踊りを習っていて、一年を通してずっと踊り狂っていた。

地元のクラブ?みたいなものに所属していたおばあちゃんは、公民館で踊ると言ってはわたしと妹を招待した。
老人ホームに来たのかと錯覚するほどの年齢層のなかで、周囲のおじいちゃんおばあちゃんにわたしたちは本当の孫かのようにかわいがられた。

「いつまでやるのかしら。お父さんがかわいそうよ」

真面目で生きづらそうだった母は、おばあちゃんに誘われるたびにあからさまに嫌な顔をしていた。
どちらかというとおばあちゃんに似て自由奔放で自分勝手であった叔母さんは、毒づく母を宥めていたように思う。

そういえばおじいちゃんは来ることがなかったなあ。
何でだろうか。
家の一番奥の和室にテレビがあって、そこで笑点か水戸黄門を観ていたな。
なぜかわたしもその隣でそれらを観ていた記憶がある。つまらないのに。

おじいちゃんが亡くなってからそのテレビは仏壇へと姿を変え、本当に消えてしまったんだと、とても寂しかったことをついこの前のように思い出せる。

さて、踊りである。

夏はおばあちゃんの本領発揮の季節であった。
いつもはただの車が並ぶだけの地元のスーパーの駐車場に提灯が光り、出店が並ぶ。
いい匂いとキラキラ光るライトが、こども心をくすぐる。
夏祭りである。盆踊りである。

「おばあちゃんはあの櫓の周りを踊るんだよ」

そう言われ、何時頃には観ていてねと釘を刺されたところで、チョコバナナや金魚すくいの誘惑に勝てるわけがない。

携帯はもちろん、腕時計なども持ち合わせていない小学校低学年のわたしは、とにかくキラキラしたスーパーボールやキャラクターのイラストが描いてあるわたあめ、やけに高い焼きそばや色とりどりのヨーヨーに夢中であった。

妹と合わせて1,000円ほどのお小遣いをもらい、小さな頭で計算して、まずは焼きそばを諦める。
屋台の焼きそばっちゅうのは何であんなに高くて、でもやっぱりおいしいのか。

りんご飴が食べたい妹にあわせ買いに行くが、まあ長蛇の列。
そのうちに音楽が鳴りだす。

「おばあちゃんの踊りの音楽だ」

一応孫らしく観ておこうと思ったのであろう。
きちんと並びながらもきちんと櫓の方を向く。
ようやく買えたりんご飴は、あまりの重さにすぐに落下。泣く妹を宥めながら手を繋いでおばあちゃんのところへ行く。
りんご飴の棒はもう少し太めにするべきだ。

「月が~出たでた~月が~出た~あヨイヨイ」

りんご飴の代わりにクレープを買い、踊るおばあちゃんをボーっと観ていると、手招きをされた。
いつもの変なエンジ色の洋服を着ているおばあちゃんとは違い、浴衣姿のおばあちゃんはどこか誇らしい。

クレープを母に預け、妹を引っ張り照れながらも踊る、その時間がわたしは結構すきだった。
よくおばあちゃんの家にくるお友達のおばあちゃんがたくさんいて、大きくなったねえとか、あら!踊るの上手いじゃん!とか、なかには盆踊り中にお金を握らせてくる強者もいた。

今だから言えるけど、みんなカビ臭かった。

踊りが終わると、あっという間に灯りが消え、現実に戻された。

落としたりんご飴を拾わなかった罪悪感が後からふつふつとやってくる。
こっそり見に行くと、ありが行列をなしていた。
ありのご飯になるのならまあいいかなどと強引に納得した。

益田ミリさんの、心がほどける小さな旅を読んでいて、強烈に思い出したおばあちゃんの盆踊り。
きょうはただそれだけのお話である。

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