人魚歳時記 葉月 後半(8月15日~31日)
16日
台風の影響で風雨が強い。
鉢が倒れる音がして、吹き込んできた雨に窓が叩かれたり――
様子が気になって戸を開けると、生温かい風にムッと包まれる。
雨と雨雲。銀色一色の世界の中で、たくさんの蝉だけが、何も変わらず鳴いていた。
17日
去って行った台風の置き土産か、早朝の空に青く長い雲があり、それが山脈に見えた.。
ふいに自分が日本アルプスの裾野で暮らしている錯覚が起きる。
犬と歩きながら、そうしたら帰る家も、そこで待っている日常も今と全然違うと思ったら、不安と不思議なトキメキを覚えた。
18日
老人のバンは、農具と乾いた土くれでいっぱい。
「あの人も一ヶ月もすれば百歳だった。次は俺の番だな」
老人は運転中しながら笑う。
墓地に到着。喪服の背やお尻は、乾いた土で真っ白だ。
老人は笑う。
「悪いね、野良に使う車なもんで」
いい野辺送りだと思った。
19日
蔓草が壁と屋根を被い、その中に青い朝顔が点々と覗いている。
それは昨夜の荒れた天候の中、見上げた夜空に白い雲が走り、星々の輝きを隠しては露わにしていた光景と似ている――
なんて思って眺めていたら、廃屋と思っていたその家から、老婆がゴミ出しに出てきて驚いた。
20日
窓を下ろし、蝉の声を車内に入れて走る。
夏草に埋もれかかる『猪飛び出し注意』の標識。
白い袋を被せられてぶら下がる葡萄。
ローギアで通過した踏切の途中で見た、東京へ向かって続く緑の中の線路は、陽に熱されて濡れたように光り、触れれば火傷しそうだった。
21日
洗濯物を干していると、生け垣の向こうの苺農家のハウスで、作業中の老夫婦が喧嘩を始めた。
つい聞き耳を立てていたら、知人が「素麺、食べる?」と訪ねてきたので、お礼を言うと、その声に喧嘩がピタリと止まった。
薄い箱に入った素麺は、びっくりするほど重たかった。
22日
夏も終わりの夕飯に、そうめんを食べれば、お腹の中からひんやりと涼しい。
寝しなのお風呂、湯に沈みながら目を閉じる。暗闇の中、リンリンと虫の声。
夏が終わってゆく実感と感傷が、酷暑の疲れとともに、リンリンと響き渡る中へ溶けだしてゆくようだった。
23日
夜は窓を開ける方が過ごしやすくなった。
外は真っ暗で、私の目には何も見えないけれど、愛猫は網戸ごしに、睡蓮鉢の奥をじっと見つめている。
そこは草刈りをさぼった場所。
草むらに何かがいるのだろうと思いながら、虫の声を聞く。
猫はいつまでも動かなかった。
24日
茄子を揚げたら油が跳ねて、腕に火傷をした。
急いで水道水をあてたからか、今はもう薄いかさぶたになって治りかけている。
子供の頃は、このぐらいの傷を作っても、へいちゃらだった。
あの茄子は硬く、旬を過ぎた口あたりだった。
夏は終わるよ、と告げられたみたいな。
25日
夏の疲れを感じつつ、犬と散歩。
四つ辻の角、とうに店を畳んだ万屋。『たばこ』の看板が残る元店舗裏のお宅から、お線香の匂い、仏壇のおりんの音、テレビのニュース、私たちに吼えるチワワの声が網戸ごしに流れてくる。
八十超えた老婆一人の朝の音。
26日
夕方になると家の裏、笹薮の向こうから、ボールをドリブルする音が聞こえてくる。
裏のお宅の高校生が、夏惜しむように庭でバスケの練習に励んでいるらしい。
でも昨夜、深夜に目が覚めた時も、まだドリブル音が聞こえた。ちょっとゾクリとした。
本当は誰がボールを?
27日
実は忙しい夏だった。あまり自分を労わらず、なんだか毎日が懸命だった。
なので今日は、蝶が長い口吻で花の蜜を吸うように、うつらうつら、好きなだけ眠り、うっとりしていた。
まさに花の中にいるような心地で転がっていた。
28日
台風が近づいている朝、灰色の空。
住宅街の上を、白鷺が田んぼを目指して飛んでいく。
全身が真っ白で、羽ばたくごとに、つばさの内側が漂白したように、なおいっそうの白さ。
紙の鳥が飛んでいくように
29日
いただいた素麺でチャンプルを作る。具材を整え、素麺の箱を開くと、中身は饂飩なので呆然とした。
箱には素麺とも饂飩とも記されていない。先方は素麺だと思いこんでいたのだろう。
気を取り直して調理。焼きウドンは美味しかった。
30日
台風の目は消滅。
囀り止まない鳥の声。
濡れた風景は見知らぬ土地のよう。
山の白い霧。
蛙と蝉が夏を惜しんで盛んに鳴く傍らで、農家の貯水槽のポンプが激しく作動し、溢れる寸前まで溜まった雨水を放出中。
低気圧の頭痛治まらず、鎮痛剤を飲む。
台風の後。
31日
草むしりをサボっていたら、睡蓮鉢の足元まで埋もれてしまった。
朝晩メダカに餌をあげに、草を踏みつつ鉢に近づくと、小さな蛙や蜥蜴が飛び出して、猛烈な速さで逃げていく。
その様子が可愛い。
草はしっとりして、居心地が良いのだろう。
だから草むしりは当分お預け。