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人魚歳時記 水無月 前半(6月1日~15日)

1日
早朝、広い道には人も車も見あたらない。
旧国道を挟んだ向こうの道に、リードのない犬がいる。繋いだ金具が外れて、夜中に何処かの庭から飛びだしてきたのだろう。
こちらへ来るかなと見ていたら、道の奧、緑濃い水田の方へと小走りに消えていった。

2日
田を満たしていく放水のしぶき。
サギの群れ。
整列する早苗。
どこまでも変わらない農道の風景。
道は長く、少し飽きる。
思いたって目を閉じて歩くと、傍らの愛犬が身に着ける、ステンレススチールの鑑札が揺れて、カリンカリンと鈴みたいな音をたてている。

白鷺
白鷺

3日
朝食後に洗濯物を干す。洗濯バサミを落としてしまい、拾おうと身を屈めると、直射日光が当たるコンクリートの上に蟻がいる。
前あしでビッケットの欠片のような物を抱えながら急ぎ足で動いている。
懸命だな。
慈しむとはこんな気持ちかと、自問自答した。

4日
寄せ植えのベゴニアの葉に、綿菓子みたいな埃がついているので指先で取ると、胡麻一粒よりも小さな蜘蛛が慌てて逃げ出していく。
埃ではなく蜘蛛の巣だった。
あの蜘蛛には、この人指し指が災禍をもたらす悪神に感じられたかな、などと考える。

5日
夜も更けて、開けた窓より蛙の合唱が聞こえてきた。毎年田圃に水が入ると、彼らは必ず夜に歌いだす。
その後、湯船に浸かっていると、閉めた浴室の窓からも合唱が聞こえる。
人とはまるで違う生物が、こんなに近くで盛んに生を営んでいるのが、なんだか不思議で尊く感じた。

水田の早苗

6日
向こうから相性の悪い犬が来て、愛犬を連れて横道に入る。初めての路地。古い簡素な家並み。磨り硝子越しにアルミ鍋の音。朝のお味噌汁。低いブロック塀の上に瀬戸物の置物。
どの家も小さな庭に季節の草花が元気良い。

植物を育てることは、季節と戯れることだと知った。

7日
朝、風もないのにメドーセージが揺れている。
長く伸びた茎。茎の先に並ぶ花。
近づくと羽音が聞こえ、蜜を集めるマルハナ蜂が、花の中から姿を現す。
黄と黒の丸い体が、青紫の花と補色となって美しい。

楽園は、きっと自分の一番近くにあって、実はとても小さな空間。


8日
床屋のお婆さんは、小学校の裏に小さな菜園を持っていて、肥った体を屈めていつも畑仕事に精を出している。
今朝、愛犬と通りかかった菜園には、珍しく彼女の姿が見えない。
なのに音がした。
お婆さんの梅の木が、根元をぐるりと囲むほど、熟れた実を次々に落としていた。

マロウ

9日
アスファルトのひび割れた隙間から伸びる雑草のたくましさ。それに除草剤をかけて枯らし続ける老人たちの熱心さ。
草は枯らされてもまた伸びてくる。
初冬まで延々と続けられるループが、今年もそこかしこで繰り広げられている。
嗚呼、ここは都会から遠い土地。

10日
三年前の今頃、蒸しパンを作ったら蒸し器の湯気で左指を火傷して、その夜に訃報を聞いた。左利きなので、包帯をした指でお骨を拾ったのが禁忌に触れたみたいで気になった。
野辺の送りで見た田は、緑がひときわ濃く眩しかったと、今年もこの季節になり、思い出す。

11日
田んぼの中の道。知らないお婆さんが顔の前で片手を激しく振りながらこちらへ来る。(何だろ?)と、困惑した次には、私の周囲に無数の羽虫。
見れば、虫柱があちこちに。
咄嗟に私も顔の前を片手で払う。
「こんにちは」と、お婆さんと互いに手を振りつつすれ違う。

隙間から可愛い花が

12日
早朝、犬の散歩で見かける老人たちは、たいていラジオを持って歩いている。
今朝のお爺さんからは「ラジオ体操」が聴こえた。挨拶してすれ違う僅かな間、小学生の朝を思い出した。
今は昭和の朝だ、という不思議な多幸感が、一瞬あった。

13日
昨夜、遅くまで机に向かっていたら、その灯りに引き寄せられて、蛾が窓ガラスにぶつかってきた。

トントンと、小さな人が手で叩いているみたいな音がした。

14日
神社の鳥居の前に、ベンチが置いてある。
どんなに朝が早くとも、そのお婆さんはそこに座って、ニコニコしながら白髪を櫛ったりして、朗らかに挨拶をしてくれる。
どこの家の人だろうといつも思う。
まさか鳥居の奥のお社に棲んでいたりなどと、今朝ふいに思った。

百合

15日
近所の空き家の庭で、今年もタイサンボクの花が咲いた。
枝先が日陰に入り、その薄暗がりに、人の顔ほどもある純白の花が浮いている。
花の真下のブロック塀には、今も看板が今も掲げられている。
『茶道 裏千家。活け花 お稽古所』
と、辛うじて読める。


百合の中

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