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人魚歳時記 師走 前半(12月1日~15日)
1日
庭で洗車。馬の体を洗うようだ。佇まいが少年のように感じて「坊や」と密かに呼んでいる愛車。凍りつきそうな空気の中、いつも私を助けてくれる坊やの、深い海の色した車体に浮かぶ水滴を拭いていく。来週は十二ケ月点検。傍らの乙女椿に、最初の一輪が咲いているのを見つけた。
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2日
明日はお酉様。浅草のではなく、町はずれの山の麓、溜め池の傍らの木立に囲まれた無人神社に、山の向こうから神主さんたちが来て神楽を舞う。自治会の人たちがひっそり受け継いできた、それこそ年貢の取り立てが厳しくて百姓一揆が起きていたはるか昔からあるお祭りに明日、行ってくる。
『山間の 古き社に 祝詞流れ』
3日
午後遅く昼寝をする。湯たんぽを入れ、少し神経が尖っているので香水を一振りした。愛犬が身を寄せてくると、一緒に雪の原野を鉄道に揺られていた。少し怖いが、新天地への期待は膨らむ。車内は温かく、ピアノの音がする。目を覚ませば香りだけが残り、旅が恋しくてたまらない。
4日
稜線は馬の背のようになだらかで、紅葉の朱、黄、橙、常緑の重なる山肌に祝詞が吸い込まれた。今年もまたお神楽はない。感染症が……と、自治会の方は仰る。神楽堂に上がっていた面々は皆ご年配だった。静かに何かが終わっていく気配。緑の溜め池の上に鳶が回り続けていた。
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5日
庭の草の中からボールが出てきた。すでに一匹いるから大変なのはわかっていたけれど、皆から見放されていたから引き受けた。生きることは楽しいと知って欲しかったけど、逆に私が教わった。犬と歩くのは幸福だ。逝ったのは今頃ね。まだここにいるね? ボールを草の中に戻す。
6日
ほこほこした午。通りかかった家の植え込みの向こう、カーテンが開いて居間らしき部屋が見える。卓上に乗せたミシンを前に、ソファに座ってスナック菓子を袋ごと食べつつ陽を浴び、うっそりした顔で情報番組を見ているおばちゃん。あぁ、なんて気持ちよさそうなんだろう。
7日
愛猫愛犬は可愛くて、アダ名や歌が次々できる。散歩中の後肢を見て愛しくなり、彼女の歌をうたう。田んぼ道で人がいないから声を大きくしたら、いきなり小さなお爺さんが、大きく育ったブロッコリーの向こうから立ち上がって、私を見て楽しそうに笑った。
8日
幼い頃、旅先で夕日を見て泣いた。里心がついたなどと、周囲の大人に慰められた。幼いからそんな風になったと思っていたけれど、今日、隅々まで西日が染みこんだ風景の中を歩いて同じ気持ちになった。老婆になってもきっと、それは胸の奥にあって、消えないのだと気づいた。
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9日
『故人お預かりします。生前予約受付けます』葬儀場の前を歩いていたら、こんな立て看板があった。足を止めて、書かれてあることの意味を確かめる。すさまじいものもを見てしまった気分で言葉もない。
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10日
部屋に戻って窓を開くと、たった今まで水を注いでいた植木鉢の縁や、さし直した支柱なんかにジョウビタキがチラチラ飛び移って遊んでいる。秋に渡ってきた頃より、橙色のお腹はまん丸だ。私が知らなかっただけで、ああして、外のいろんな場所を、彼らと共有していたらしい。
11日
空気が冷たく乾いてくると、音の通りがよくなるのか、遠くの電車や踏切の音が、驚くほど近くで聞こえてくる。終電が終わった深夜には、貨物列車の音がする。蒲団の中で、真っ暗い田園の中を貨物列車が走っていく風景を想像すると、どこか懐かしく淋しい、でも楽しい気持ちになってくる。
12日
凍えるような早朝、トラクターから降りたお爺さんが、畑の際で背を丸めて立っている。通り過ぎてからバックミラーを見ると、彼の足元から湯気がたっていた。象が村の街道を歩いてイバリをし、そこに赤い椿が浮かぶ川端康成の「春景色」を急に思い出し、帰宅して本棚を探す。
13日
洗濯物を干していく。冷たい外気の中、脱水したばかりの衣服からは、含む水気がもくもくと、煙となって白くあがる。陽射しは温かいが、やはり冬。指の腹もまぁるく紅く膨らんだ。息を吹きかけ、健気な風を装ってみたり。時間と心に余裕のある時、家事はけっこう楽しい。
14日
特急列車が温泉に行く人々を乗せて北へ走っていく。昔、塩原温泉で按摩さんを頼んだら、盲目のお婆さんがいらした。「そこの峠、夕日に紅葉が真っ赤で」と仰るので、「目は」と尋ねると、「そのくらいは」とのこと。淡い視界に映る赤を思っていると、遮断機が上がった。
15日
あ、忘れちゃった、と思った。でも早朝から曇天で、昨夜は雨も降った様子。結局これではふたご座流星群も見えなかっただろう。舞茸を入れた干し網をしまうのを忘れ、軒下に出しっぱなしだった。青いネットの中、ひからびて散らばる干し舞茸が星に見えなくもない。
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