【小説】「ポチ子奇談」犬を撫でに来る女2/3
4 顔のない女
客人町には、石舟山という、岩肌が剥き出しになった山があります。
二〇〇メートルほどの低山で、山頂には木々が生い茂り、その中に古寺が建っています。麓からも、伽藍の屋根がちょこっと見えたりします。
山の裏側となる麓一帯は、民家もなく、木々が鬱蒼としていて、その雑木林の中には、たまに釣り人が静かに糸を垂らしていたりする溜め池がありました。
今朝は珍しく、ポチ子に引っ張られて、そこまで足を延ばしました。
何か目的でもあるように、ポチ子は草深い中もかまわず進んでいき、池の畔を奧へと回り込みます。
ふと見ると、立て看板がありました。
汚れたワンピースの写真が印刷されてあり、襟元から伸びる首と頭部は白抜き。隅に『年齢は二十代後半~五十代』と記載があります。
この近くで発見されたご遺体の、身元を尋ねる警察の看板です。
私がそれをジッと見ている間、ポチ子は脇の草むらに鼻先を突っ込んで、匂いを嗅いだり、前肢で土を掘り返したりと、なにやら楽しそうにやっていました。
5 夜に梅干しを漬けていると
その夜、台所で洗った梅のヘタを竹串で取っていると、
「あったわ」
不意に庭から女性の声が聞こえてきました。
居間に行くと、キクオが食後のビワを食べています。彼には何も聞こえなかったらしく、
「梅干しは、漬け終わった?」
などと、のん気です。
「シッ!」
私は硝子戸の前まで行き、そっとカーテンを開きます。
犬小屋の前に先日の女の人がいました! 今夜も顔は見えませんが、白い服と長い髪は、確かに昨夜の彼女です!
ポチ子は犬小屋から出てきて、お座りをしています。女の人は膝を折って、ポチ子の頭を撫でていましたが、やがてゆっくりと立ち上がり、こちらに背を見せたまま静かに立ち去っていきました。
「また誰か来ているのかい?」
硝子戸の前から動かないでいると、キクオに声をかけられました。
その時、誰かが玄関のドアがノックしたので、私は飛んで行きました。
訪ねてきたのは義父で、菜園で採れたピーマンと茄子を持ってきてくれたのです。
「お義父さん、女の人いませんでした?」
私のあまりの勢いに驚いた義父は、ちょっとたじろぎながら、首を横に振ります。
「えっ? いやぁ……誰も」
「女の人ですよ。黒髪の、白い服の、本当にいませんでした?」
「誰もいなかったがね」
「でも見たんです」
「誰を?」
「女の人です。知らない女の人。ポチ子を撫でていました」
私は庭に出て行きました。
ポチ子は私を見ると嬉しそうに口を開き、巻尾をクリクリと揺すりだします。
「撫でられていたの? あの人は誰?」
もちろん犬は答えてくれません。
私はしゃがむと、この子の太くて、しっかりとした首に腕を回しました。
抱き寄せたポチ子の、厚く密生する被毛は、草や土の匂いがします。
吹いてきた夜風が心地よいです。
ようやく気持ちが落ち着いて、私は犬の体から顔を上げたのですが、その時、犬小屋の横に、新しい穴を見つけました。
「あっ! また新しく穴を掘ったのね。今度は何を埋めたの?」
6 犬の穴
ポチ子は散歩の途中で”宝物”を見つけると、それを咥えて家まで持ち帰り、小屋の周りに埋めてしまいます。
宝物とは、落ちていたドングリや栃の実、道の隅に転がる、どこかの子供が忘れていったゴムボールなんかです。
歩きながら、さりげなく、長いマズルの口で咥えるものだから、私も気づかないことがあります。
特に小さい物などは……。
「今日は何を持ってきたの?」
盛り上がった柔らかい土を片手ですくうと、硬くて小さい何かに触れました。
鳥を象った、彫金の指輪でした。
「あら……綺麗」
広げた羽が、指を包むようにリング状になっています。鳥の顔は横向きで、目の部分にダイヤモンドらしき宝石がはまっています。リングの裏側には、なにやら文様めいたものが彫ってありました。
「とても素敵だけど……」
高価な指輪なのでしょう。鳥の目の輝きを見れば、このまま見過ごすのも気が引けます。
7 駐在さん
翌日、ポチ子と散歩の途中、駐在所に寄りました。
「落とし物……というのか、犬の拾い物なのですが、これ――」
ジッパーつきのビニール袋に入れた指輪を差し出すと、
「ほぉ、なかなか豪華な指輪ですな。どこで拾われましたか?」
駐在さんは、何かの用紙を取り出しました。
「昨日のお散歩は、溜め池まで行ったので、たぶんそのあたりでしょうか」
「じゃあ、これに記入を――いやいや、形ばかりで。決まり事ですからね」
事件など起きない町の駐在さんらしく、のんびりとした調子で、私が届け出用紙に名前や住所を記入をしている間、ポチ子を楽しそうに撫でたりしていました。
「ポチ子奇談」犬を撫でに来る女3/3に続く。
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