幸せについての憂さ晴らし
ネットには幸せになるための方法などのブログがたくさんあります。ぼくは男なんで、それを読んだ雑感を書いて幸せじゃない憂さ晴らしをしたいと思います。
例えば、あなたを凄く好きな人が実は仮にいたとします。その人はあなたの何が好きだったか?あなたは理解できますか?あなたの好きなところを当てるゲームをやるとぼくは、かなりの確率でその人の好きなところをあなたとの会話の中で射抜く能力が仮にあったとします。
アホすぎる!勘違いだろ!
いろんな声が聞こえてきます。
話を最後まで聞いて下さい。
でも、あなたのいいところをただ射抜けたからといってそのことを意識させたからといってあなたことを幸せに出来るわけではありません。
ネットに溢れる幸せについて語るブログをについて思うのは、幸せについて直接的に語ったり伝えたりするのは、何か間違ったメッセージを受け取るリスクの方が多いのではないかということです。
確かに、言葉には確かに力はあります。行動を起こす勇気の原動力になる本当の表現やクリエイティブすべきメッセージは何か自分の意識してないとこでリカバリーしたり、働きかけるものなのかもしれません。
あえてもっと言えば、ミシェル・ウェルベックが描く「ある島の可能性」のように、そこでやっと特殊な通信が成立しうることになるのではないでしょうか(笑)
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