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「最強のふたり」は、リアルとフィクションが最強で、巧妙だ。
フィクションとリアルが、最強のバランスだった。
「最強のふたり」は、生まれも育ちも全く違う2人、黒人で複雑な家庭に育ち、さらに前科もあるという、いわゆるギャングのドリスと、障害はあるものの資産家で教養もあるフィリップが友情を育んでいく、実話ベースの話。
物語は、ギャングのドリスが、フィリップの世話係の採用試験を受けるところから始まる。面接でドリスは、他の候補者が口にしていた「障害者のお世話をしたい」なんて言わず、彼の障害に対して「やっかいだな」とつぶやく。その特別視しない態度がフィリップに気に入られ、ドリスは世話係に採用されてしまう。彼には豪華な個室が与えられ、高級外車の運転や、パラグライダー、オペラ鑑賞など、経験したこともない、そしてきっとすることはなかったであろう上流階級の世界に身を置くことになる。フィリップはフィリップで、障害のある無し以前に一人の人間として向き合ってくれるドリスに心を開き、また彼のユーモアや行動力、突飛な言動に振り回されつつ、心をほぐしていく。
でも、ふと思った。
この話、どこかで見たことがある。
資産家がギャングを見初め、上流階級へと連れていく。物語の構造は、王侯貴族が下層民を上流社会へ引き上げる「マイ・フェア・レディ」や「シンデレラ」に通じるところがあるんじゃないか。そう思うと、シンデレラの時代から形を変えて生き続けている「格差」に慄然とした。
それから面接のシーン。候補者たちは志望動機に「障害者が好きだから」「お世話をしたいと思ったから」なんて言葉を連ねる。確かに困難はあるだろうけど、それは誰しも少なからず抱えているんじゃないかなと思う。なのに、どうしてそんな言い方をされないといけないのか。自身の身も、つまされた。
友情が芽生え、深まっていく過程に感動しながらも、違和感がちょこちょこ顔を出してくる。フィクションからうっすら透ける、社会や人の問題。美しく飾り立てられた土台には、目を背けておきたいものが埋め込まれていて、それが物語のそこここでチラッとあらわになる。
でも、あくまでも、チラッと。
現実世界の見たくないものを、感動的な物語でソフトに覆いつつ、たまに針でチクッと刺してくる。「最強のふたり」はこのチラ見せと痛さ具合が、実に巧妙だ。
肌がチリッてした、けど、邪魔にはならない。そんな程度。
フィクションはフィクションとして美々しく作る一方で、現代社会の問題もしっかり提示する。そのやり口が、最高だった。