じょう

主に日記。

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最近の記事

3日目。散らかる。

朝。いい具合に雨でべちょった畑で草取り、という泥遊びをした。土が柔らかいから細かい草が根っこまで抜けてくれて、快感。 昼。和紙を買いに行く。葉や花、繊維が漉きこまれていて、まるで琥珀。表情も違うし飽きない。 従兄弟が来るとのことで、にわかに忙しくなる夕食の準備。烏賊はすぐ焼いて、豚は来てからねっててんやわんやした。片付けまでガッチャガチャしてから、とっちらかったままのブッシュ孝子詩集の感想をなんとか言葉にして、今日は終わり。

    • 2日目。ひらかれた胃と昼。

      胃カメラのんだ。胃かめらのんだ。もっかい言う。いかめらのんだ。朝。 かぽーんと空いた昼。東京国立博物館のYoutubeをひたすら見る。遮光土器を下から見ると微笑んで見えるらしい。仏像と似てるね。東博行きたい。 ごま豆乳鍋な夜。いまだに、そしてやっぱり太ることが怖い。幼い頃からのフォビア。意外と今の体が憧れのボディイメージと重なってて、惜しくて手放せないってそろそろ認めようかな。それはそれでいいんじゃないかな。なんて。久しぶりに〆のご飯までもらって満腹、満腹。その後血糖値上

      • 1日目。眠れなかった功績、かも。

        午前3時にトイレに起きたらそれから眠れなくて、部屋の模様替えや将来のこと、明日の胃カメラやカーテンの柄のこととかが湧いては消えていく時間を過ごしていた。そうしたら、右脳のはしっこあたりでニューロンが囁いた。事実を毎日淡々と記述してみたいって。流れるだけの毎日を記録したら私の「層」ができるって。ふむ。カーテンをルーマニアっぽい柄にするか、ブルガリアっぽい柄にするかで悩んだのが功を奏した、気がするなぜか。 朝。親の敵のようにバラ、マリーゴールド、ダリアとノボタンを剪定。それから

        • クリームチーズと金柑のスプレッド

          金柑の甘煮をレンジで温め、クリームチーズと混ぜる。食パンを好きな大きさに切り、トースターで焦げるか焦げないかまでカリッカリに焼く。最後にお皿にこんもり盛って、完成。クリームチーズと金柑の甘煮のスプレッド。特別に味を付けをしなくても、ペッタリした金柑の甘さをクリームチーズの塩味がちょうどよく締めてくれる。 なんて「今日の140字ごはん」さんを気取って書いてみた。とうてい似ても似つかないけれど。 https://twitter.com/140words_recipe?s=09

          夏の正解

          炭酸なしでは生きられなくなってきた。 しかもアマプラで映画観ながら一気飲みするから、なお悪い。健康をなんとなく気遣ってカロリーゼロとか選んでみるけど、甘味料やらを思うと褒めらたものでもない。 それでも、クーラーの効いた部屋で映画観ながら炭酸をクーッて飲み干す。 これ、夏休みの正解じゃん?なんて。

          夏の正解

          「最強のふたり」は、リアルとフィクションが最強で、巧妙だ。

          フィクションとリアルが、最強のバランスだった。 「最強のふたり」は、生まれも育ちも全く違う2人、黒人で複雑な家庭に育ち、さらに前科もあるという、いわゆるギャングのドリスと、障害はあるものの資産家で教養もあるフィリップが友情を育んでいく、実話ベースの話。 物語は、ギャングのドリスが、フィリップの世話係の採用試験を受けるところから始まる。面接でドリスは、他の候補者が口にしていた「障害者のお世話をしたい」なんて言わず、彼の障害に対して「やっかいだな」とつぶやく。その特別視しない

          「最強のふたり」は、リアルとフィクションが最強で、巧妙だ。

          人生はきっと、織りあげていくもの。

          生きることは編集することだなあと思います。 どんな人と出会って、どんなことをして、どんな本を読んで、どんなものを食べて、どんなことを感じて。選び取ったものから自分を織り上げていくものなのかなあ、と思っています。 でもこの考えはまだ、完全に腑に落ちてはいません。こんな時代だから、方方で言われていることが耳に入っての受け売りのようなきがするからです。 でもそれはある意味、世間が今一度「生き方」を意識しだしているってことじゃないのかなとも思います。 そんな「人生を編集する」

          人生はきっと、織りあげていくもの。

          あご、外れます。映画「HOT FUZZ」

          ナンセンス・オブ・ナンセンス! B級か?!と思わせつつの、超ド級のエンタメ映画だった。 話は、ロンドン市警勤務の超絶優秀巡査・ニコラスが、ド田舎に左遷されることから始まる(この左遷理由もくだらない)。「素晴らしい村」的な賞を受賞したこともある勤務地の村では、白鳥を探したり協会バザーの警備をやったり。村民もいい人たちばかり、警官らも朝っぱらからチョコケーキ食べてたりする。でもそんな村で不審な「事故死」が続きだして……。 この「言えない部分」からが、本番。 ばかげてる!ふ

          あご、外れます。映画「HOT FUZZ」

          末摘花と紅花と。

          あんなに愛した紅花が末摘花だと知ったとき。末摘花は強情だけど、それはそれは初心だから、はつらつとしてでもなまめかしいあの紅花と結びつかない。 疑うべきは、源氏のセンスか、わたしの無知か。 なんにしたって永遠に、きっと絶対腑に落ちない。

          末摘花と紅花と。

          アイスクリンを食べに行く。

          「音楽を聞いて自分の体は液体だと確信した」的なことを言ったのは確か、最果タヒだったと思う。 それをふと思い出して、わたしは石だと思った。川の上流にそびえ立つ、遠い過去につるりと割れたまま時を経た、巨岩。いままでもこれからも、そこに在り続けるであろう、永遠の岩石。 なんでそんなふうに思ったのかはわからない。でも今のわたしは石以外のなにものでもない。 しかたがないから明日、わたしはアイスクリンを食べに行く。

          アイスクリンを食べに行く。

          嫉妬も欲も友愛も、すべては会話。「ヴィクトリア女王 最期の秘密」

          予想に反して、会話劇だった。 メインの登場人物は片手で充分。彼彼女らの会話や目線、身振り手振りから大英帝国時代の社会や人間の欲があぶり出されていた。 当時の英国は厳格な階級社会。国内はもちろん貴族間でさえ複雑で固定化された階級がある。その下に植民地である英領インドは置かれ、さらにインド領内でも階級がある。 下に生まれた人間は、どれだけ努力しても上にはいけない。 それなのにインド人のアブドゥルが、彼の愛嬌と教養で女王の寵臣になってしまう。 この、階級も支配・被支配の関

          嫉妬も欲も友愛も、すべては会話。「ヴィクトリア女王 最期の秘密」

          「シン・ゴジラ」こそ、劇場で見たい。

          庵野秀明監督は、ジブリ人だなと思う。 信念ははっきり示しつつ、ほかもたくさん考える要素を詰め込んで、ほのめかす。だから鑑賞者によって着眼点も解釈も学びも違うし、そこから鑑賞者が自説を披露することでさらに物語世界が広がっていくように仕掛けているんじゃないか。 つまり鑑賞者の立場からいうと、好き勝手言わせてもらう余地が多い映画だと思う。 強引だけどそういうわけで、気になったセリフのことを語らせてもらうことにする。 物語後半で「避難とは住民の生活を根こそぎ奪い去ることだ」と

          「シン・ゴジラ」こそ、劇場で見たい。

          サメと、梅雨明け。

          サメが飛んでいた。ズゥィィィン、と唸りながら。 機体後部、両翼の後ろがクッと下がって、尾翼で持ち上がる。釣り針を水平にしたような形といえば、少しは伝わりやすいだろうか。体躯は寸胴なホオジロザメではなく、どちらかというとシャープなコバンザメ。 でも実際そんな鈎状のサメはいないようだし、似ているところといえばグレーの体色のみ。 なんでサメだと思ったんだろう。 それはたぶん、戦闘機だったから。灰色の機体が耳障りな爆音を従えて一直線に飛んでいく。その姿が、血の匂いに反応したサ

          サメと、梅雨明け。

          至福の弛緩。映画「オーシャンズ」

          敏腕詐欺師もメカニックも資産家もベガスも出てこない、「オーシャンズ」。波の音、海洋生物たちの美しさに身をゆだね、体の芯をゆるませる。至福の時間を過ごせる映画だ。 この映画は音が、素晴らしい。 沖合の波は重く圧力があり、ズザザザザーと波が崩れると、重低音の心地良い圧がかかる。水中映像では、コポコポコポ、カポカポポポ、トプゥントゥプン、と耳に優しい音のなか、海面の日差しに照らされた魚群が踊り、水鳥たちが矢のように滑り込み、蛸や深海生物たちがグロテスクにうごめく。 波の音に揺

          至福の弛緩。映画「オーシャンズ」

          それを料理とよべるまで。

          トマトジュースを鍋で煮立たせ、お湯で溶いたコンソメと解凍しておいたミックスベジタブルを加える。良さげな塩梅までぐつぐつさせたら、なんちゃってミネストローネの出来上がり。 これは料理だろうか。少なくとも今、私は料理とは言えない。 櫛切りのトマトを鍋で煮崩しながら、野菜とベーコンを切り、オリーブオイルで炒める。トマトの形がなくなり水分が出だしたら、野菜とベーコンを加える。必要であればお湯で少し溶きながら、味を整える。 こんな感じが料理の最低ラインだと思ってきたし(人によって

          それを料理とよべるまで。

          朝は。

          詩集。句集。優しい物語。朝は、静かなものを読むことにしている。 とはいえ、好みの「静けさ」はそうそう見つかるわけではないから、1ヶ月かけてじっくり情報を集める。この本はどんな朝を運んできてくれるだろうか、なんて想像しながら。 そうして選びに選んで、月末にぎゅっと買いだめる。たいてい、読みきれないほどに。 今月もまた、次の月の本を買い集める時期がやってきた。 読み終わってない本たちにむかって、まだあと何日かあるしね、もし読めなくても来月分終えたらきっと戻ってくるよ、なん