なぜ人はフェミニズムを支持するのか?派閥別まとめ
日本でもフェミニストによる騒動が注目されるようになって久しい。騒動が起きる度に論争が繰り返されてきたが、それを見る中でフェミニズムを支持する人の背景や理由には一定の傾向があり、いくつかの派閥がある事が分かってきた。
いい機会なので、自分が見た限りでの派閥一覧を女性、男性、その他のそれぞれで纏めてみようと思う。
・女性の派閥
・「女性らしい女性」への反発
「専業主婦は時代遅れ!家父長制で女性を抑圧している!」といった主張をする人に多いタイプ。男性からモテない、良い男性とパートナーになる機会に恵まれなかった女性が専業主婦のような伝統的な生き方を選ぶ女性に反発してフェミニズムを支持する。この派閥にはインテリ系の女性達も多く含まれており「自分たちのような知的な人間こそ優秀な男性から承認されるべきだ」という考えが根底にある。
また、年齢などの要因で家庭を持つ事が困難となった女性達が「自分の選択は間違っていない」と言い聞かせる為に、家庭を持った女性達を目の敵にしているケースも存在する。
・生きづらさの正当化
日頃の生活でフェミニズム的な言論や著作物に触れ、自分の生きづらさの原因を差別の問題に委ねるもの。「悪いのは私じゃない、社会だ」という事である。そうした経緯から、自分を被害者として認めてもらい、周りに配慮してもらう事を目標にしている。
女性は男性に比べると発言を共感して貰いやすい。その為、客観的にはおかしな主張でも周囲からの共感で認知が歪み、考えが極端化するケースも多い。
また、元々女性の中には「本当の自分はこんなんじゃない、なんらかの原因で本当の自分になれずにいる」という世界観を内包している人がいる。そうしたタイプの人も不満の捌け口としてフェミニズム的な他責思考に陥りやすい。
・性を売りにしてきた反動による被害者意識
夜職に従事している人に見られるパターン。SNSで猛威を振るうフェミニストに多い。
彼女達は仕事柄自分が好まない、もっと言えば嫌悪感を持つ男性にも性サービスを行わなければならない。日頃そうした形で男性と接する為に男性観が一般のそれと乖離しがちで、特に被害意識の強い女性達が「男性は皆加害者やその予備軍だ」という考えにたどり着く。このタイプの人には精神的に不安定で極めて攻撃的な人が多いのも特徴である。
また、若かりし頃に性を武器にして男性からの配慮や金品を受け取っていた人が、加齢によって出来なくなった時に「私達は買われた、性加害を受けた」と被害を主張して更に金銭を要求する所謂二毛作を行う人も目立つ。
・エリート層の利益最大化
少数存在する男性並みに働ける女性で、出世等のためにフェミニズムを唱えている層。日本の男女共同参画も霞ヶ関の女性官僚が主導したと言われている。
https://ippjapan.org/archives/1218
女性の中でもエリート層の人達が「男女平等」を推進する施策を作ったことにより、女性活躍の定義も「社会に出てバリバリと働く」ものが中心となった。結果的に施策を作ったエリート層に有利な環境が出来上がった。
現在ではこうした背景を知らず「私もキラキラ自己実現人生を目指す!」という理由でフェミニズムを支持し、自分の首を絞めてしまっている女性も多い。
・男性の派閥
・贖罪行為
自分が女性に対して行ってきたぞんざいな振る舞いをフェミニズムの支持によって贖罪しようとするもの。
自分自身が女性に屈折した性欲を持っており、そうした自分への後ろめたさや、「他の男も同じような欲望を持っているに違いない」という思い込みから男性原罪論のような極端な思想に傾く。実際この手の人は過去に犯罪やそれに近い行為を行っている、またはフェミニズム寄りの主張をする中で突然犯罪を起こすケースが多い。
・女性からの好感度集め
所謂チン騎士と呼ばれる人達が該当する。
女性からの好感度を高め好意を得る事を目的に、女性への過剰な配慮、贔屓、優遇を躊躇なく行う。すなわちモテたいからフェミニストをやっているのだ。
彼等は日頃、女性達の「被害の申立て」に対しすぐさま飛び付き、「私が女の子を護る」というムーブを全開にして格好を付ける。また、男性からの反対意見には「お前達は女性を知らず知らずのうちに抑圧していると自覚するべきだ」とマウントを取るのである。
実際こうした主張はフェミニスト寄りの女性からは賞賛される事が多く、彼等は女性から好感を得る事と男性(特に下の立場の男性)への説教という二重の快楽に浸っている訳である。この配慮や優遇と引き換えに女性からの承認を得る構図から、チン騎士的行為をジェンダーパパ活と揶揄する者もいる。
当然こうした本音を見透かされ批判される事も少なくない。しかし彼らの中では「か弱い女性を守り味方をする自分」がアイデンティティとなっている部分もあるので、頑なにチン騎士であり続けようとする。
・時代遅れの価値観
大学や企業で女性枠を作ったりと、チン騎士の中でも特に中高年層に多い特徴。
彼等は女性が本当の意味で男性より格下の扱いを受け、同時に弱者として保護されていた時代に生きてきた。その時代感覚を引きずったまま昨今の男女平等の流れを見ているためフェミニズム的な主張を真に受けやすく、「女性の方が弱い立場なんだから、男女平等のためにも女性を支援し活躍できるようにしてあげるべきだ」と素朴に考えている。
要はジェネレーションギャップであり、「男」「女」という括りで平等を考えている自分達が一番アップデート出来ていないという話だ。
彼らの考え方を「女性を下に見ている、差別的なもの」と批判する声も多い。だが彼等は過去に見てきた女性を差別する文化が今の時代、若者にも引き継がれていると思い込んでいる為に他責的な言動すなわち「ぴえん」も含めて女性の声に無条件で耳を傾ける事が善い事だと考えがちなのである。
・男性への反発と女性の神聖視
男性の中には男性コミュニティ(ホモソーシャル)になじむことが出来ず生きづらさを抱える者がいる。その中で一部の人が男性や男性社会に反発する形でフェミニズムを支持する。
この手の人は男性へのイメージと相反する形で女性を過剰に美化する、いわば女性の神聖視をしている事がある。要は「女性は男性と違って暴力は振るわないし卑劣なこともしない」という考えを半ば本気で持っているのである。その為、女性が事件を起こした際にも「そうせざるを得ないやむを得ない事情があった」と擁護するのである。
女性の神聖視は男性に反発する男性に限らず、女性との接点が少ない男性(=非モテ)にも多く存在している。生身の女性を知らないことで実際の女性とはかけ離れた姿で女性のイメージを形成してしまうのである。
・その他の派閥
・金や利権の確保
己の金や利権の為にフェミニズムを活用し社会で勢力を伸ばそうとするもの。
アメリカでは文系大学を出た学生が自分の食い扶持を確保する手段としてあらゆるものを「差別である」と批判し、自身を差別解消に取り組む役職として会社に置くよう圧をかける手法が横行している。
日本でも萌えイラストが度々炎上騒動になったり、AV作品に規制を掛けようとする動きが見られるが、これは性表現への嫌悪だけではなく、アメリカのように活動を通して利権を確保しようとする目論見もあると言っていい。いわばシノギである。
また、インテリや大学教授にとってはポリコレ、ジェンダー思想の啓蒙活動が貴重な仕事の場として機能している側面が大きく、食っていく為に思想にしがみついている部分が大きいと言われる。特に教育現場におけるジェンダー、フェミニズム講義は、かつて関西で行われていた教育と同類のものであると指摘する声は多い。
・世間からの賞賛
「我々は女性差別に反対します」「ジェンダー平等の為に様々な女性支援を行なっています」というメッセージを世間に発信する事で世間からの好感度を稼ごうとするもの。上述のチン騎士と同類であるが、こちらは企業や組織、著名人の発言や取り組みも含まれる。
最新のトレンドや正義に敏感でいち早くビジネスに取り込もうとする人はいつの時代にもいるが、現代ではその一つとしてジェンダーやフェミニズムが選ばれている訳である。
企業であれば女性管理職の割合が公表されるようになったので、悪印象を防ぐべく無理矢理にでも女性を昇進させて数字の改善を目指したり、取り組みを世間に大々的に公表する事で株主からの投資を促している。また、取り組みに対して国から直々に補助金も降りる為、それも意識されている。早い話、会社が好感度と資金集めの為に現場社員に割りを食らわせているという事だ。
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000130118.pdf
大学であれば、世間に加えて同じ業界からの視線も気にして女性枠はじめ女性支援に乗り出している面も大きい。というのも、大学自体が村社会的な体質が強くルールに反するものを排斥する風習があるとされている。そのルールが今日ではポリコレやジェンダーに当てはめられており、ポリコレに異を唱える者は界隈に居場所がなくなるという事態になっているようなのだ。こうした風習がフェミニズムに傾倒した施策が横行する一因になっているのは間違いないだろう。
何れにせよ正しい側に就く事で賞賛や金を集め、ついでに「社会の為に善いことをした」と気持ちよくなりたがる人が多いという事である。
・欧米への信仰
出羽守と呼ばれる人をはじめとした欧米の文化や取り組みを先進的なものとして称賛し日本にも広めようとするもの。
彼らが主張をする際に用いているのがジェンダーギャップ指数である。この指数が欧米に比べて低い事を根拠に、日本は遅れていると批判やマウントを取るのである。
実際にはジェンダーギャップだけを見て男女平等か否かを判断できるものではなく、ルワンダのように多くの男性が紛争で死亡し女性が表に立たざるを得なくなった場合でも数値上平等扱いされてしまう問題がある。フェミニストの中で比較対象である欧米も女性活躍は一部の業界に留まっているのが実情だ。しかし当の本人たちは間違いを認める事はないので延々と頓珍漢な主張を繰り返してしまう。
この派閥には海外に移住した「当事者」の立場から日本を批判している者も多い。しかしこれもまた、海外の中で比較的平穏な場所だけを見て語っている部分が多い。また、その言説自体が海外の生活で居場所がなく息苦しさを抱えている人達が「移住した選択は間違っていない」と正当化を試みるものが多いとされる。
・共感による認知の歪み
他人の発言や出来事に強く共感するあまり物事の認知が歪んでしまい、共感できない人へ攻撃的になってしまうタイプ。
共感性の高い人達は特定の属性、人物に強く感情移入し擁護しようとするが、一方でそうでない人には当たりがキツくなり排斥しようとする性質を持つ。そして男女問題においてこの手の人達は十中八九女性の肩を持つため、結果的にフェミニズム支持者になるのである。
この手の人は「苦しんでいる人に寄り添いたい」という善意から行動を起こす人も多いため、政治や司法、NPOといった形で社会に影響力を持っている。故に女性の言い分が一方的に罷り通る状況が強化されることに繋がる。
・正しさへの傾倒
世の中にはその時代の正しい側に就く事で安心を得たがる人達が存在する。正しい主張を行い仲間からの賞賛や敵(とみなした勢力)を仲間と共に糾弾する事を通して、社会の居場所づくりをしているのである。
そうした人達にとって現代の正しさの指標となっているものが、フェミニズムやポリコレ、ジェンダーなのである。
この手の人は、社会に居場所がない、勉強はできるが能力をイマイチ活かせていない、かつては社会的成功を納めたが今は陰りが見えている、等様々な要因で今の生活に不満を燻らせている人が多い。また厳しい言い方になってしまうが、この手の人は物事を多面的に捉えるのが苦手で、想像力に乏しい人も多い。
こうした事情が重なった結果、社会の正しさを「絶対的な存在」として捉えてしまい、あらゆるものをその指標の視点で捉えようとしてしまう。「これは差別だ」とあらゆるものを糾弾し、反対する人を「世の中の差別構造を何も理解しない愚か者」と一方的に切り捨てるようになってしまうのである。
フェミニズムを新手の宗教と称する意見も世の中にはあるし、一見するとその通りと言わざるを得ない状況ではあるのだが、その一因にはこの思想が特定の人にとって心の拠り所となっているからというのは確実にあるだろう。
・まとめ
以上思いつく限りフェミニズム支持者の派閥をまとめてみた。
要員や背景は様々であるが、大別すると現代のフェミニズムは
・男女平等への認識のずれ
・自身の利益確保
という2つの要素から成り立っていると言える。
男女平等にまつわる論争では機会の平等と結果の平等という概念がよく用いられるが、厳密には支持者が求めているのは公平である。
・優秀な女性が女性というだけで抑圧され、最初から不利な状況に立たされている
・女性枠をはじめとした女性支援は、女性が背負わされているハンデを無くして男女平等を達成するための必要な措置である
という社会構築主義的な世界観を彼等は強固に持っており、「女性にも公平にうまみを分け与えれるようにしろ!それが男女平等だ!」と主張している訳である(特に大学関係者で、この考え方を持っている人が多いと感じる)。
当然矛盾した考え方なのだが、実際に女性を格下として扱ってきた人達にとってはこうした世界観の方が自然なものに映り、また贖罪行為にもなると考えるので普通に言ってしまうのだ。
実際には女性が自らキャリアや男性と同じ道を望まず、結果として男女差が生じているケースが殆どであるためこの認識は陰謀論にしかなっていない。
しかし、支持者にとってフェミニズムは自分の生きづらさを他者の責任に委ねられるもの、社会からの賞賛、金銭を得られるものとして既に確立されている。その為、女性=被害者、男性=加害者の図式が否定されることは確立された環境を守る上であまりに都合が悪く、なにがなんでもその図式を保持しようとするのである。女性の選択の結果による不平等に対して「その選択自体が抑圧やジェンダーバイアスの結果である」とする言説が後を絶たないのも、その事例のひとつだ。
見方を変えれば、女性が被害を訴えたり女性を被害から救おうとするだけで賞賛を得られてしまうし、社会の構図を変えたり金銭の受け取りが出来てしまう訳である。故に社会において本当の権力者は誰なのか?という問題にも繋がってくる。
何れにしても、こうしたフェミニストの行いは男性や社会にとって多大な損失となる為、きっちりと対抗していくべきだろう。一部では男性が負担や責務を放棄する形で対抗すべきだという意見も出ているが、筆者としてはそれで社会のインフラサービスが成り立たなくなるのは嫌なので辞めてほしい。なので、フェミニズムの矛盾や問題を拡散してひとりでも対抗に賛同する人を増やせないかと思っている。今回の記事はその趣旨も込めて書いた。読んで頂ける人がいるなら幸いである。