ぼくが山にこもっている理由
ぼくはアニメとVTuberがすきなんです。
ということは、どうしたってデータ量がかかってしまう。
なので、Wi-Fiは必須と言っても過言ではありません。
しかし、今は自ら望んでWi-Fiのない北海道の山奥に2ヶ月間こもっています。
は?なんでそんなことするの?
そういうリアクションが当たり前なのかなと。
なんでそんなことしてるかというと、幸せって相対的なものだったりするんじゃないかなぁと最近思うからです。
Wi-Fiのある生活が当たり前になっていると、Wi-Fiに対するありがたみはないですよね。
逆に、Wi-Fiのない生活を一度してみると、Wi-Fiがあるというだけでかなり幸せなんじゃないかなと思ったわけです。
ぼくはこういうことを今までも何回かしてきました。
飛行機を使えば1時間半でいける東京-釧路を丸3日かけてヒッチハイクで移動しました。
明日の寝床がわからない、家なし生活を2ヶ月間してみました。
こういうことをすると、やっぱり飛行機ってマジはえぇなwって思えるし、屋根と壁があるって幸せなことだなぁと思えるわけです。
ぼくは、会社をやめてから5ヶ月間の無職生活を謳歌していました。
始めの2ヶ月間が家なし生活で、その後の3ヶ月は実家にいたんですよね。
もうね、実家がすこぶるいい。
もちろん、明日も明後日も寝床は確保されてあるし、Wi-Fiもあるし、家族がいて話せるし、とにかく住み良いんです。
めちゃくちゃ幸せでした。
でも、家なし生活から実家に帰ってきたときに比べ、日に日にその生活が当たり前になっていくのを感じたんですよね。
これじゃダメだなと。家族への感謝とかもだんだんできなくなっちゃうんじゃねぇかなと。
それで、その当たり前になりつつあった幸せを一旦捨てることにしました。
家族から離れ、Wi-Fiも捨て、世俗から離れられる場所。
そう、山です。
それで山に来ました。
やっと最近1ヶ月が経ち、残りあと1ヶ月というところなんですが、めちゃくちゃ実家に帰りたいです。
Twitterの名前を実家に帰りたいbotに改名したぐらい実家に帰りたいです。
あの当たり前になりつつあった幸せな日々に戻りたいです。
しっかりと仮説通り、今の嫌な環境のおかげで、実家にいた頃の幸せが引き立っています。
スイカに塩をかけると甘く感じるような、
ツンツンされることでデレの重みが増すような、
高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいような、
急がば回った方がいいような、
かわいい子には旅をさせるような、
死を感じることで生が輝くような、
そういう逆説的なものってやっぱりあると思うんですよ。
幸せを感じたかったら、不幸を感じるといいのかもしれませんね。
以上、実家に帰りたいbotでした!