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漫画家不在の時代に出てきた、正真正銘の漫画「シシファック」

■第1回トーチ漫画賞「山田参助賞」受賞作品 「シシファック」。
この評価に関しては、審査員がほとんど語っているので、そちらを参考して頂くのが一番である。

ただ、自分もこの作品を読んで語りたいので、こうして書き出している。
この作品に関してまず語らなければいけないのは、つまらないがその点がほぼ気にならない点だ。
これは馬鹿にしているわけではない。

どんな作品でも、作り物である以上、何かしらのアラがある。そこを見てしまうとしらけてしまう。ただ、初めて読む分にはこういった部分はあまり気にならないモノである。

レベルが低い作品はそういったアラが読んでいる最中で目立ちすぎて読めないモノもある。この「シシファック」もそういった部類であるが、ただ読んでいる時はアラに対して、「勢い」と「ギャグ」と認識するのか許容してしまう。また、読み直せば読み直すほど、整合性も不明になるが、その前にバカらしくなって、そんな読み方は忘れてしまう。

これに似た作品は審査員も「ボボボーボ・ボーボボ」と言っているが、もっといえば、成人向け漫画の「女犯坊」が一番近いだろう。

つまり、勢いと荒唐無稽ゆえにアラが、その作品と一部となっている。かと思えば、常識的な部分を差し入れることで、さもこの漫画が事実と勘違いさせる。映画で、よくいう出来の良いB級作品とも似た感じだろう。

また、この作者は漫画を描いた経験がないと書かれている通り、擬音の描き方なども見ても、今の漫画の描き方を分かってない。それほどアナログな漫画の描き方をしている。
ただ、それでも経験の無い中でも、勢いだけでこの作品を作り上げたのだろう。今の漫画から見れば、完全に先祖返りの作品である。

■話は少し変わるが最近、なろう原作のコミカライズに対してもネーム構成が別に付く作品があってびっくりした。原作という話があるのに、更に漫画を構成するネームまで他人。
つまりはこの漫画家は絵だけを描いているのである。漫画家は実力が無いと言われ、公言しているも同然である。

そもそも、ネームとは漫画におけるコマ割、構図をしたためた下書き。ネームを元に絵を清書する形となる。最近ではネームも披露しているので、漫画の仕組みを分かっていなくとも、漫画好きなら目にする機会が多いだろう。

つまり、原作、ネームがある中では漫画家は完全に絵を描くだけの存在、AIが発達している今では、いずれ不用になるのは目に見えている職業である。

上記は原作、ネーム構成、漫画家の3人態勢の参考で出しているが、かなり面白い作品。
ただ、新川権兵衛氏の「横浜駅SF」のコミカライズをしているだけにネーム構成が必要だったのか、疑問もある。
ただ、アクション向けのコマ割ではなかったので、理解もできる点もある。でも、ある程度は編集が補える点ではなかったのか。

だが、今度はネーム構成のかかし朝浩氏も連載がある中での起用も疑問がある部分。労力的には難しくないとはいっても、分業は相談等の手間が出てくるので自分でやるよりもロスは出てくる。そもそも、そのコストを考える・・・。

さて、最近の漫画の原作とは銘打っていても、実際はネーム原作であり、よく見かける漫画原作の山口ミコト氏もこのネーム原作者である。
原作を務めた漫画をよく見ると内容以前にコマ割や構図が一緒であることに気が付くだろう。
この事からも最近というか、以前より漫画家はコマ割や構図を苦手として、漫画を面白く魅せることができないと言われている。その対策がネーム原作である。
実際、近年では各社ネーム原作を募集するコンテストも出てきている。それが何よりの証拠である。

以上が閑話休題です。

■この事で何が言いたいのか。ネーム原作が必要な『漫画を描けない漫画家』が跋扈する中で、堀北カモメ氏は下手であっても自分が描きたい物を形に出来る『漫画が描ける漫画家』である事を「シシファック」によって示したのである。
今の時代、これは誇っていい。
画力だけに目が行きがちな最近の漫画業界で、勢いだけで出てきたのは一番評価する点である。読者としても作画カロリーの高い漫画は食べ飽き、作品としての整合性もないのでは食あたりである。

この一点だけは声を大にして言いたい。
この作品は漫画家を目指して、出てきた正真正銘の漫画である、と。

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ツカモト シュン
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