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とあるなろう系パロディが話題になる中で『ライブ・ア・ライブ』を語ってみた

河本ほむら原作による『異世界転生者殺し -チートスレイヤー-』が1話だけで大いに話題になっている。

タイトルからも分かるようになろう系テイストだが、その中身はなろう系フォーマットによるモノではなく、人気なろう系作品に対する悪趣味なパロディのようだ。

また真相か、ネタかは分からないが、原作者の作品があるなろう系作品に知名度でも負けたことに対する、腹いせではないかと言われる始末。

ともあれ、1話時点なのに色々な所、動画サイトでもネタとして語られていた。しかし、このネタのされようは某納豆店、某車イス乗車拒否といった話題を動画サイトで扱う配信者のようにインスタントさを感じてしまう。

確かにこの作品自体が、ネタにされるためにネタにしている部分もあるだろう。それでもこの先、1話以上の話題性を提供できるかは、私にとっては懐疑的である。

さて、今回はそんな『異世界転生者殺し -チートスレイヤー-』とおそらくコンセプトが近い、RPGのメタさとアンチテーゼを巧みに使ったゲーム作品、『ライブ・ア・ライブ』について語って見たいと思う。

ちなみに今回は『ライブ・ア・ライブ』のネタバレ以前に制作者が語りたかったであろう、作品の核心を見ていく内容となっています。
そのため、ネタバレを見たくないという以前に作品未プレイの方は置いてけぼりな内容になっていることはご理解いただきますようお願いします。

■90年代スクウェアの名作とマイナー作

90年代のスクウェアは多くの名作を作り続けたとともに、その裏では売り上げ、知名度はそれらに比べれば劣るモノの意欲的な作品も多く存在した。

ただ、売り上げが劣るといっても、他のスクウェアブランドから比べての話であり、全体基準から見れば十分とも言える程度だとは思う。
また、意欲作という点でも、『ファイナルファンタジー』自体が打倒ドラクエを打ち出して企画された作品と語られている。

そんな作品の例として、1997年にプレイステーションにて発売された『ブシドーブレード』がある。このゲームは武器を使った格闘ゲームではあるが、武器が刀や剣だけに一太刀で決着がつくといった設定はリアル志向である。

続編も作られてはいるが、Wikipediaによると販売本数約39万本と書かれているだけにファイナルファンタジーとかに比べれば、微妙なラインのタイトルである。

ただ、一太刀で決着がつくといった設定は近年でもリスペクトされ、販売本数だけでは語られない魅力のある作品となっている。
ニュアンスこそ違うが、『ダークソウル』を始めとするダークソウル系の死にゲーがある今では、一撃死の概念も逆に通じやすいだろう。

今回語る、『ライブ・ア・ライブ』もそんな意欲作であり、売上本数に比例されない記憶に残る作品である。
本作の発売は1994年9月2日、スーパーファミコン用ソフトである。ただ、その半年もしない前の1994年4月2日には『ファイナルファンタジーVI』が発売されていた。
話題性はどうしても「FF6」に取られてしまうのは仕方がない時期であった。

さて、この『ライブ・ア・ライブ』に関しては開発者のインタビュー記事が当時から多くあり、近年でも何かあるたびに語られている。そして、隠れた名作であることから、多くのファンからも様々な視点で語られている。
そして、やりこみ要素も多いので今でもゲーム配信で魅せることができ、それを見る側も同様である。

それゆえにこう語っていることも、いまさら感がある。自分としても何かがないと語る機会がないと、ただそれらの中に埋もれてしまうと思っていた。

さて、ネタバレ以上であることは明言しているが、この作品の軽く説明を。

この作品は別々の7つのシナリオと隠されたシナリオが1つ。そのシナリオもクリア後に、最終編へと進むことになる。
この7つのシステムは原始編、現代編、SF編などとあるように一見、時代ごとになっている。ただ、それ以上に各シナリオで基本システムは同じながらゲームシステムが大きく違っている。
現代編などは格闘ゲームがモチーフであることはシステムだけでなく、他の点からも見て取れる。SF編は基本戦闘がなく探索メインで、完全なアドベンチャーゲームになっている。

この事からも時代ごと分けられているというよりは、異なるゲームで構成されたオムニバス作品といった見方ができる。
しかし、最終編では各主人公が集結した上で、作品の主題がきっちりと描かれているため、この作品がオムニバス作品だと言いきるのは難しいところでもある。

そんな世界観もゲームシステムもバラバラであった、オムニバス要素の本作を繋ぐシナリオが中世編にある。そんな中世編は発売前の情報、プレイ開始時では隠されていたが、開発時点では最初に作られたとこの中世編と開発者によって発言されている。

中世編のストーリーはどんでん返しはあるモノの王道RPGそのもの。そして、そのどんでん返し自体、王道RPGアンチーテーゼから来ているため、王道からは逸脱もしていない。
この内容に関しては語れば、メタとしての「勇者と魔王」の関係であり、ある種なろう系での定番要素は90年代の時点でも描かれている。

また、この構造も『ファイナルファンタジーIV』の主人公とライバルを入れ替えて作られたとある。

そんな王道RPGである中世編に対して、各編の異なるゲームシステムを持ったキャラクター達が挑むという構図が『ライブ・ア・ライブ』にはあると思う。

■メタさとパロディ、そしてリスペクト

さて、次は少し冒頭で語った「異世界転生者殺し」に絡めながら話してみたいと思う。

確かに『ライブ・ア・ライブ』も全編通してパロディありきな部分はある。むしろ、オリジナルの部分を探すのが難しいぐらいだ。とはいえ、借り物のパロディとまでは至っていない。
ここはアメコミの『ウォッチメン』のようにヒーローモノのメタ、アンチテーゼを描くために、何処かで見たことがあるヒーローたちが登場する。ここは舞台装置してのヒーロー像の借り物と言えるのかもしれない。
もっとも、Wikipediaではあるが制作背景については載っている。

ただ、一番大事な点はそれら元ネタありきとはいえ、丁寧に主人公らの描写を描かれているから、借り物感は薄くなっている。ここは先に例に出した『ウォッチメン』とて、借り物のヒーロー像とはいえ、完全にオリジナルキャラクターとして成立している。

だが、「異世界転生者殺し」はキャラの掘り下げをしなかった。当然、漫画の構造上、読み手の興味を引くためとには、この1話も仕方がない。しかし、元ネタのパロディが優先されて過ぎている現状では、これ以降で改善するかは疑問でもあるが。

この事を例にして、『ライブ・ア・ライブ』で序盤からピークの中世編で開始させた後に各編へ移行したら、どうなるだろうか?

中世編から一番に作られているだけに作品で語りたかったことは、ここにある。また、独特なバトルシステムの習得などにも、説明がしやすいのではないか。

しかし、制作者は分かっていたはずだ。中世編の展開を理解させるには、統一感のないシナリオとはいえ、ここから始める意味が重大だと。

『ライブ・ア・ライブ』の各シナリオの主人公は強さこそ求めてはいたが、世界を救う勇者の大義名分など誰も持っていなかった。それでも物語の過程で、強さだけでなく、その精神性も勇気ある者、“勇者”へといたる。

一方で中世編はその真逆の過程を、他シナリオと同じ質量で進むことになる。大義名分の“勇者”を先に与えられた者の物語を。そして、中世編のサブタイトル「魔王」の意味が、否応なしに分かるラスト。
それは各シナリオという比較対象もあるから余計に浮き彫りになっている。

自分が思うに、この中世編のラストの演出はRPG史上、優れていると思っている。

それまでゲーム作中で喋ることのないプレイヤーの分身であった中世編の主人公が、最後の最後に自我を持ち、これまでを振り返り、語り始める。語りの最後にはプレイヤーの付けた名前さえも捨てて、プレイヤーにとって見慣れた名前を逆に宣言する。
(主人公のデフォルトもあるが、どのシナリオでもプレイヤーが任意の名前を付けることができる)

この事で、オムニバスであったはずの物語は、中世編で主題が明示される。

また、中世編は隠されてはいるが、その伏線はプレイ開始時から、ぼんやりと見せられている。
タイトル画面の背景にはどのシナリオにもない西洋風の山岳が描かれ、タイトルロゴのデザインも「LIVE A LIVE」と書かれているのではなく、後半のLIVEは裏返って「ƎVI⅃」、EVILとも読めるようになっている。
そして、各キャラクターが集結する最終編も「ドラゴンクエスト4」などの前例から、当時のプレイヤーにとっても予測しやすかったはずだ。

完全に余談だが『サガ フロンティア』では各キャラクターが集結すると思っていた。しかし、それがなかったのは逆に衝撃で、さらには今日の『サガ フロンティア リマスター』でようやく、それが適ったも驚愕ではあった。

『ライブ・ア・ライブ』は明確に制作者が言いたかったモノはインタビューなどを見なくとも、丁寧に書かれている。それはゲームプレイを通して、プレイヤーに否応なしに読み取れる仕組みとなっている。
それは王道RPGのある種アンチーテーゼを描こうとしただけに、登場する元ネタはパロディというよりは風刺であったり、尊敬だったりする。だからこそ、昔とはいえ近年も語り継がれているのに、元ネタ絡みでの悪い噂は聞かない。

一方、「異世界転生者殺し」にはそういったリスペクトが感じられないのが、余計に悪い話題性を生んでいたのかもしれない。

この件に似た話として、『バイオハザード ヴィレッジ』に登場するあるクリーチャーがとある映画に似ていることに対して、その映画監督は一報をくれれば良かったのにと不満げに語っている。

■メタさ ~受け継がれる要素

『ライブ・ア・ライブ』で各シナリオのボス戦に流れる曲が「MEGALOMANIA」。この曲に影響を受けたといわれている曲が「MEGALOVANIA」である。

この曲の経緯は少し特殊であるが、この曲が使われている『Undertale』もまた様々なゲームを下敷きに作られた作品である。この下敷きにしても、明確に参考にしていることが分かる部分もあるが、原作リスペクトを感じることからマイナスポイントとはなっていない。

後、『Undertale』自体では『ライブ・ア・ライブ』に関する記述は自分が知る限り、見受けられなかったが、曲自体は意識していることから、影響がないとはいいきれないだろう。
実際、RPGのメタさとアンチテーゼは『Undertale』の根幹をになっている。

しかし、ここまで書いておいてなのだが、「RPGのメタさが描かれていた作品」とは、「この作品は叙述トリックである」と同義のネタバレとはなっているのだが。

そもそも、このRPGのメタさ、アンチテーゼといったモノはなろう系でも描かれている要素でもある。

ただ、なろう系と『ライブ・ア・ライブ』のような流れを組むのかと言われると、別だろうと思っている。そもそも、なろう系に代表されるゲームの原体験はMMORPG、そして、なろう系の代名詞、「チート」にしろゲーム改造文化が一般化した時期とも見るべきだろう。

ここに関しては、随分前にもまとめた点なので、ここではこれ以上は語らないでおく。

ただ、90年代スクウェアだけでなく、開発者自体が王道RPGに対する懐疑的な目から作られた作品も昔から見受けられる。
そもそも、「竜退治はもうあきた」のキャッチコピーと王道RPGらしからぬ自由性を売りにした『メタルマックス』は1991年、ファミリーコンピュータ用ソフトでの発売である。

そして、ゲーム開発者が思うメタとはいうのは開発側だけに「第四の壁」を越えてこようとするケースも多い気がする。

なろう系でのよくあるチートにしても改造コード止まり、ゲームバランスの崩壊程度と、ゲーム自体を破壊するバクまで至ってはいない。ゲームのスピードを競うRTAに置いて、バグ技を使用するプレイスタイルと比べれば、上品さがあるぐらいだ。

ともあれ、『ライブ・ア・ライブ』は30年近く経った作品が、今日にもその精神性と言うべきモノは受け継がれ、新たな形として構成されているのは間違いない。

■ゲーム作品の主題を語る機会について

単に『ライブ・ア・ライブ』の思い出話となろう系に通じるRPGのメタを語るだけの簡単なモノにしようと思ったが、意外に考察すると新たな発見に書く手を何度と止められていた。

『ライブ・ア・ライブ』単体の話だと、シナリオ的には西部編と中世編が表裏になっていたのではないかと再考察していた。
次に「第四の壁」のくだりは書きながら、今回発見した内容である。
作者、開発者だから見える視点、読者、プレイヤーだから見える視点は違うのだと思った話だ。

後『Undertale』の影響下にあるweb小説作品というのが、世に出ているのか分からないが、あるのなら是非読んでみたい。ただ、ゲーム的なメタさをどう文学に落とし込むのかは難題でしかない気がする。
これに関して何か知っている人がいれば、コメント等で残して頂けると助かります。

最後に、今回このように『ライブ・ア・ライブ』を語って思ったのが、ゲームとして内容だけなく、作品の主題が今日まで語られるゲーム作品は少ないというか、あまり無い気がした。

シナリオ重視の美少女ゲームにしろ、娯楽として作られてるだけに制作者の主題に関して語られる事は少なかった気がする。
その反面、美少女ゲームのメタさが含まれる『Doki Doki Literature Club!』は作品の主題を含めないと考察しないと、無理ではないだろうか。だからこそ、開発者のインタビューすら考察材料に使われる。これは『ライブ・ア・ライブ』も似た点がある。

話はすこし逸れるが、そういう点でも麻枝准の小説『猫狩り族の長』は自伝的ともいわれており、Key作品の裏側を読み取るには参考になるのではと気になっている、今日この頃である。

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ツカモト シュン
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