見出し画像

草野マサムネのロック大陸漫遊記(9月12日放送分文字起こし)





※個人的な備忘録として書いているので読みづらいです。
※草野マサムネさんの発言を"マ「〜〜〜」"の形でまとめています。
※ラジオネームにミスがあったり誤字脱字がございましたらご指摘ください。直せるところは直していきます。
※丸いかっこの中だけ自我が出ます。感想つぶやき場として使ってます。






《作詞の師匠で漫遊記》


マ「この番組は、ロック大陸という架空の大陸をあなたと旅しながら今まで旅先で仕入れた定番曲だけではなく、密かに心の中で燃え続けるイカしたロックナンバーをオンエアしていきます。ロックミュージックへの探究心を持って、未体験のエリアへその先の彼方へ旅するような気持ちでお届けしてまいります。」

マ「ご機嫌いかがでしょうか~。改めまして草野でございます。9月3週目ということですけれども、そろそろ秋っぽくなってきてるんでしょうかね。まだまだ世の中大変な思いをされてる方も多いかと思いますが、大変な方もそうでない方もちょっとした息抜きにしていただけたら幸いです。さぁ、番組の方ですけれども、今日は作詞の師匠で漫遊記ということでいってみたいんですけれども、作詞をするようになって私40年近くたちますけれどもこれまで私草野が影響を受けてきた方々のナンバーをエピソードを絡めつつ、お届けしようかと思います。よろしくおねがいします。草野マサムネのロック大陸漫遊記、今日は作詞の師匠で漫遊記です。どうぞ最後までお付き合いください。それでは漫遊前にスピッツの曲を一曲聞いてもらいますが、この夏、夕焼けがちょっとえぐいくらいに美しい日が結構ありました。んでそろそろ秋ということでアカネ空にしんみりする季節に合わせて、スピッツこんな曲もあったな、ということで聞いてください。スピッツで『アカネ』」




(『アカネ』個人的にスピッツベストに入れたいくらいに大好きな曲です。NO MUSIC,NO LIFE.のポスター皆さん見ました?その中のマサムネさんの言葉にあった「人間的なぬくもり」を感じる一曲です。まぁスピッツの皆さんはこの曲の存在を近年まで忘れてたそうですけども。(笑))



マ「スピッツ、2000年9作目のアルバム【ハヤブサ】から『アカネ』聞いてもらいました。草野マサムネがお送りするロック大陸漫遊記今日は作詞の師匠で漫遊記です。この後は遠藤ミチロウさん率いるザ・スターリン初期のナンバーからご案内いたします。」




マ「まず聞いてもらったのは、ザ・スターリン1982年オリコン3位となった通算2作目のメジャーデビューアルバム【STOP JAP】から『玉ネギ畑』でした。作詞はもちろん遠藤ミチロウさんです。はい、今日はなんか自分語り中心になっちゃうと思いますけれども、俺ね、高校1年で初めて組んだバンドがコピーバンドだったんですけれども、その時はハードロックとかまぁあの外国のバンド、UFOとかのコピーをしていたんですけれども、やっぱりあのーオリジナル曲がやりたいなぁと思って密かに、一人で、ウチで作ってたんですけれども、曲はね、出来るんすよ、なんか。アイデアとかいっぱいあって。だけどね歌詞をねどうしたらいいかホントに困っちゃって、普段はあの英語のロックばっかり聞いてたんですけども英語で作るのもなんか違うしなーと思って英語喋れないしね。んで結局なんかこういう(ヒバリのこころのサビのスキャットで歌う)みたいなにゃーにゃー歌いながらカセットに弾き語って記録していました。そんなある時友達に借りたスターリンというバンドのカセットを聞いてあ~こういうのもアリなんだなと。目から鱗だったんですよね。あのスターリンはそれまで聞いてた歌謡曲っぽいなんかこう惚れた腫れたみたいな歌詞ではなくってホントに全く違う世界を教えてくれました。そこからねするする~っと面白いように歌詞が出来るようになったんですけども、なんか背伸びして、歌謡曲的な恋の駆け引きの歌とかなんかメタルにありがちな悪魔とか地獄の歌とかじゃなくてもいいんだなと気付かされたというか。あと意外な言葉の組み合わせとか、歌謡曲では使われないようなオシャレじゃない過激な言葉がすごくロックっぽいなと思ったんですよね。なんで俺の作詞のルーツはまずこのスターリン、遠藤ミチロウさんだなということになります。」


マ「んで、日本において、当時、昭和のころはなんだかんだでロックって男の世界になりがちだったんすよ。特に福岡だと、九州だとね。そこに性別を超えた世界を初めて聞かせてくれたバンドが次に紹介したいZELDAです。これまでにもこの番組では何度かかけてる番組上重要なバンドでもありますが、今日聞いてもらう『うめたて』。埋立地をさまよう人の歌なんですけれども、その中に「遠い島に住む 若いキリンの群れ」っていうのがあって、歌詞が、これね最初ね単にシュールな歌詞なのかと思ってたら、このキリンの群れというのがコンテナを積み下ろしするあのクレーンが並んでる様子かぁってのが分かったときはすげーって思いましたね。思わず膝を叩いちゃうような。それ以外にもありきたりじゃない言葉でイマジネーションを掻き立てられる歌です。それでは聞いてくださいZELDAで『うめたて』」


(サブスク配信されていない楽曲でした)

マ「ZELDA、1983年セカンドアルバム【CARNAVAL】から『うめたて』聞いてもらいました。」


マ「次はTHE BLUE HEARTSいってみたいと思うんですが、ブルーハーツは最初に聞いた時俺18歳くらいかなぁ、あまりの衝撃に呆然としたんですが、一緒に聞いてた友達、当時一緒にバンドやろうって言ってた友達とこれは、マジなんじゃなくってわざと「がんばれ」とかそういうダサい言葉をパロディとして使ってるんじゃないかと話していました。本質はねスターリンとかあぶらだことか当時人気のインディーズのパンクロックに近いんだろうけど、このポップさがね逆に狂気を孕んでいてかえってヤバいなとか思ったんですよね。まぁあの実際ブルーハーツこの今日聞いてもらう『人にやさしく』以外の曲はそういうパンクでヤバい歌詞も結構あるんですけれども、まぁ今振り返ればマジとも皮肉ともどっちともとれるところがブルーハーツの発明だったんだなと思いますけどもね、なので後々この歌詞をとってもストレートに頑張れってのを受け取っちゃう人が多数派になってしまって、ヒロトさんとかは苦しくなったりしたのかって勝手に推測したりもするんですが、あとこのブルーハーツはメロディーがとっても歌謡曲的で耳なじみが良くって自分もこういうね歌謡メロディーのエッセンスを加えたパンクロックみたいなのを作ろうと目論んでいたので、これもう先越されたなというショックもありました。ただブルーハーツは俺の構想なんかよりさらに上の完成度だったので嫉妬する暇もなく、単純にファンになってしまったんですが、見た目もね、かっこいいですしね。でブルーハーツ以外だと当時はちなみにアンジーの水戸さんのアカデミックかつ悪ふざけを絶妙にミックスしたような歌詞とか、コレクターズ加藤さんの絵本のように分かりやすそうでいて意外とブラックユーモアだったりとかそういう歌詞にも影響を受けていましたが、やっぱり一番影響受けたのは当時ブルーハーツかなってなりますね。それでは聞いてください。THE BLUE HEARTSで『人にやさしく』」


(サブスク配信されていない楽曲でした)


マ「THE BLUE HEARTS、メジャーデビュー前の1987年自主制作のアナログ盤のみでリリースされまして、翌年CD化されてレナウンのコマーシャルに起用されて大ヒット、オリコン26位となったナンバー『人にやさしく』でした。」


マ「スピッツを結成してちょっとした頃にライブハウスのマネージャーの方にブルーハーツの真似をしていたんじゃ君たち未来はないよ、っていうキツめのお言葉を頂きまして最初はムッとしたんですけどまぁ確かに客観的に見たら真似しちゃってるよなっという自覚もありました。そんでブルーハーツフォロワーっぽくないバンドになるためにどうしたらいいのかということで、まずアコギを持ったんですね。んで歌詞もちょっと見直していこうということで、ブルーハーツとか先ほどのスターリン、ZELDAの影響からさらに自分のルーツを探るとこれは松本隆さんなんじゃないかと、そこまでたどっていったんですよね。子どものころ好きだった原田真二さんの曲とかを聞きなおしたりして、でも松本隆さんの歌詞というのはほんとにプロの仕事って感じなのでとても太刀打ちできないところもあるんですけれども、まず松本さんの”小物使い”というのを参考にしようと、思いました。で”小物使い”これ俺がよく作詞について語る時に出てくる重要ワード、ここ重要!テストに出ます。みたいな、”小物使い”。この『タイム・トラベル』にもいきなり「番紅花色のドア」とか「スフィンクス」とか「下弦の月」とかイメージを掻き立てる小物ワードがわんさか出てきます。あと平成以降のJPOPにあるね、あのよくある「明日を信じて」とか「夢をあきらめないで」とかね「会いたいけど会えない」とか「何かを探してどこかへ行こう」みたいなそういう具体的じゃないぼんやりした言葉これをね個人的には”観念的ワード”と言っていますが、観念的ワードばっかりで作られた観念的な歌詞って最終的にはイメージがぼんやりして何にも伝わってこなかったりするんですよ。なのでそうならないためのお手本でもあります。松本隆さんの歌詞ね。それでは聞いてください。原田真二さんで『タイム・トラベル』」



マ「原田真二さん、1978年オリコン4位の4作目のシングル、作詞は松本隆さん。『タイム・トラベル』聞いてもらいました。」


マ「さてさて、スピッツ。90年代初頭にバンドブームのおかげもありましてデビューが決まりましてその頃はいわゆる現代詩というのも参考にしようと思ってちょこちょこかじっていました。谷川俊太郎さんとかね、谷川さんは茶目っ気のある表現となんか雄大なスケール感が共存する感じで『20億光年の孤独』っていう詩が好きでこれはスピッツの『五千光年の夢』がねちょっとオマージュしてたりするんですが、それから草野心平さんはね、オノマトペ、擬音の使い方、これがねなんかいろいろカエルの声とかね不思議な言葉を効果的に使ってらっしゃるんですけども、これスピッツ初期の「タンタタターン」とか「チィパチィパ」とかそういうのにも影響を受けてますね。谷川さんとか草野心平さん以外だと、山之内獏さん、あと川崎洋さんという方の詩集も好きで読んでいましたね。これあの詩人だけじゃなくって、今だと例えばSNSの短い文章でもたまにあのこの人言葉の選び方とか、リズムの作り方が上手いなという方がたまにいらっしゃってすごく感心することがあるんですけども、そういう思わず繰り返し読みたくなるリズム感とか、ある意味すっとぼけた味わいを出せる人が好きですね。であのー昔スピッツ石田ショーキチくんにプロデュースをしてもらった時に、石田君が俺の歌詞について”諧謔性”ってやや難しい言葉で説明してくれたことがあるんですけども、まさにその辺をずっと意識していきたいなと、ばかばかしさとか、ユーモアとか、ちょっとおどけた感じ?でも直球で笑いを取りに行くのではなくて、という感じかな。はい。」

マ「さぁ、次は洋楽行ってみようと思います。私、12歳ごろからずっと洋楽をメインで聞いてきまして、基本的に歌詞の訳は見ないでメロディーとか歌い方で勝手にイメージを広げて聞くのが好きなんですけど、たまに訳を見てすげぇなと思わされる方がいらっしゃいます。このピクシーズ、今日聞いてもらうピクシーズとかはそんなバンドです。とにかくね、まずシュール。で文学的。その辺はZELDAとかとも通じるんですけども、そんで小物使いも上手くってその辺は松本隆さん的でもありなんで初期のスピッツは結構ピクシーズ的な歌詞の世界を目指していました。スピッツファーストアルバムの曲作りの時とかがそうかなぁ。インタビューでもピクシーズの影響を言っていたことがあると思います。で、今日聞いてもらう曲、『Wave Of Mutilation』は車で海に突っ込んで人魚とキスしてエルニーニョの海流に乗ったり、エビとかカニと一緒にマリアナ海溝を走ったりとぶっ飛んだ内容となっています。それでは聞いてください。Pixiesで『Wave Of Mutilation』」




マ「Pixies、全英8位全米は98位となりましたセカンドアルバム【Doolittle】から『Wave Of Mutilation』でした。」




マ「最後に紹介するのは大沢誉志幸さんの『そして僕は途方に暮れる』です。スピッツデビューして三枚アルバム出した時点でセールス的にはホントに鳴かず飛ばずでした。なんとか売れる作詞をしないとなと、売れる歌詞を作んないとなと考えたときに、松本隆さん以外で参考にしたのが『そして僕は途方に暮れる』の作詞をした銀色夏生さんという方です。銀色夏生さんの歌詞はそんなに強いメッセージとかストーリーがあるわけじゃなくって、シュールでもないけど、なんつうか雰囲気重視な言葉選びというか売れる歌詞ってこういうやつかなととても勉強になりました。おそらくねそんなに音楽マニアじゃない普通の人の心も掴む言葉選びっていうか、この曲とあと銀色夏生さんはむしろ詩集を読んで影響受けましたね。「これもすべて同じ一日」というタイトルの詩集、今読むとちょっとくすぐったいというか、イノセントな恋愛ポエムなんですけどもそんな中に唐突に「メキシコでサボテンの針を撫でた風が今日は風鈴を揺らす」とかね、「どこにも接していない一つの点」とか景色をガラッと変えるような言葉がポンっと入ってたりしてそういうのがめちゃめちゃ気持ちいいです。あとこの詩集ですけれども、すごいきれいな写真とセットになってるポエムということで、これはメロディーとセットになってる歌詞みたいな、そういう関係性に近いかもしんない。で言葉の連なりもとってもリズミカルでその後のJPOPの歌詞を先取りしていたかのようなポエムだと思います。あとねまだ有名になる前の森高千里さんをモデルに撮影された写真とポエムが組み合わされた「わかりやすい恋」っていう詩集、これもね良いですね。こっちはかわいいけどちょっと意地悪そうな恋愛を妄想できる、そんな内容になっています。それでは聞いてもらいましょう。大沢誉志幸さんで『そして僕は途方に暮れる』」




マ「大沢誉志幸さん、1984年オリコン6位となった5作目のシングル、作詞は銀色夏生さん。『そして僕は途方に暮れる』聞いてもらいました。」





マ「草野マサムネがお送りするロック大陸漫遊記、今日は作詞の師匠で漫遊記。この辺りで締めとなります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。」







~ちょっぴりタイムマシーン~


(ゾウさんで『愛のしるし』のフレーズ)


マ「このコーナーはこれまで上陸した広大なロック大陸で、ちょっと昔の曲なんだけど今こそラジオで聴いてみたい、そんな名曲を埋もれさせないようにあなたの脳内ミュージックライブラリーに加えていただこう、そんなコーナーです。」


マ「今日掘り起こすのは、原由子さんの『恋は、ご多忙申し上げます』です。結構これね、ヒットした曲なんで全然埋もれてないとは思うんですけども、これね、作詞は桑田佳祐さん。で実は俺サザンや桑田さんに関しては熱心なリスナーじゃなかったんですけれども、今現在でね日本のポピュラーソングを作っている人間で直接的でも間接的でも影響受けてない人ってほとんどいないと思うんですよ。特にロックのリズムに強引に日本語の歌詞を乗っけちゃう手法とか、今日聞いてもらう『恋は、ご多忙申し上げます』も、サビのね(ゾウさんでサビ弾き語り)っていうこれね、「愛してる」じゃなくて「愛・視点・ルール」ってうたってるんですけれども、これがね、そういう歌詞だと分かったときはすげぇなって思いましたね、これ俺の推測なんですが「愛してる」よりももっと弾んだ感じでリズムに乗せたいということで「愛・視点・ルール」という歌詞にしたのではないかと思うんですが、この言葉の意味よりもリズム重視という作詞をコミカルになりすぎない範囲でスマートにやれちゃうっていうこの辺がね、桑田佳祐さんこそJPOPのゴッドファーザーだと思う所以です。はい。それでは聞いてください。今日のちょっぴりタイムマシーンは原由子さんで『恋は、ご多忙申し上げます』」



マ「原由子さん、1983年オリコン4位となった4作目のシングル、作詞は桑田佳祐さんで『恋は、ご多忙申し上げます』でした。」





マ「お送りしてまいりました草野マサムネロック大陸漫遊記、今日は作詞の師匠で漫遊記いかがでしたでしょうか~。作詞であと俺が大人になってからすごいなと思った方は、浅井健一さんとかあと坂本慎太郎くんとか、あと阿部真央さんとかかなぁ。あのスピッツの歌って意味がよく分かんないとか変わった歌詞とか言われることありなすけれども、あえてそう言われるように作っています。他のだれかに似てないような表現を目指していきますのでこれからもどうぞよろしくお願いいたします。」






マ「スピッツ草野マサムネのロック大陸漫遊記、来週も同じ時間、同じチャンネルで一緒にロック大陸を旅しましょう。またお会いしますよ!お元気で!草野マサムネでした。」








(今週はかなり神回だったんじゃないでしょうか。スピッツマニアな僕といたしましては予告を聞いた時草野マサムネの作詞のルーツを知ることができる……とにわかに信じがたかったです。なんか時代だなぁとも感じました。スピッツの曲を聞くうえですごく大事なポイント”小物使い”も登場しました。これ聞いてふと最近の曲で思い出したのがスピッツ16作目のアルバム【見っけ】に収録されている『ブービー』です。”小物使い”と”観念的ワード”が良い具合にミックスされていてなるほどなー!と思いました。はい。あと草野さんがZELDAの歌詞で気付いて思わず膝を叩いた表現がありましたがつい最近僕もスピッツの曲で同じようなことがありまして、『愛のことば』の「昔あった国の映画で 一度観たような道を行く」のところ、これまぁ単純に自分が今、”昔あった国の映画”を見て自分のことを客観的に見たときにちょっと自虐交じりに言ってるのかなと思っていました。他の部分の歌詞から見てもね。なんですけどこれ、”昔あった国の映画”ってのはいわゆる「前世」のイメージだなって気付いて、僕の場合は軽く叫びました。そう気づいてから益々好きになった楽曲です。ちなみに合ってるかどうかは知らないです。)





(ということで、少し遅くなりましたが自分のためにも他のスピッツマニアのためにもアップしておきます。これからはなるべく全部の回をアップ出来たらなぁ、と思います。そしてちょこっとお知らせ、Twitterのアカウントを作りました。これからは文字起こしの記事はこの下記のアカウントで呟こうと思いますのでよろしくお願いします。)
















おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?