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1952年 9月11日うまれ
今日はというと大好きな母上のお誕生日だー。
Apple Watchが欲しいというのはさておき、とりあえずビールを1ケース送る。Amazonさまさま。
物心ついた時から、本当に強く優しい女性だった。
いたずら好きの小学生のわたしに手を焼いた当時の担任の先生は母に相談しに来ていた。
「むすめさん、いたずらばかりで言うこと聞きません!」という新米新卒教師に「ウチの子、どれだけ叱っても良いので言うこと聞かせてください、それが先生です!」と「学校に預けてるんだから親がついていって叱れませんから」と先生を叱って帰してくれたことを感謝しておる。
中学になるとさらに悪さをするようになり、美術の時間にカバ(美術教師のあだ名)に叱られ「かえれ!」と言われて室内履きのまま泣きながら帰った私をみて学校に行き
「校長出せ!」と。「義務教育で帰れはないだろ!」と校長室に怒鳴り込んでくれたことを感謝しておる。
高校はとっても厳しい私立に行き(内申点悪すぎて公立に行けず笑)制服が当時の蝶々柄のモリハナエ。
それをけがすことならぬ、という教えのもと、制服以外のものを身につけることを禁止されていた冬のある日。
帰り道にマフラーを着けて反省文を書かされたわたし。
私立の憧れの高校は家から遠いにも関わらず、マフラーを着けた罪で「親呼び出し」2時間車を運転して呼び出された母に職員室で反省文なるものを音読させられ、親子で反省しなさい、という無謀な教師たちに。
「よく書けています、マフラーなくて風邪ひいたらどうします?風邪こじらせたらどうします?近くないんだからマフラー着けたくらい、ダメなら先生たちで注意してください!」と言い放ち、2時間も来たんだから、と大好きなお店でフレンチ食べさせてくれたことを感謝しておる。
強いわたしは強い母に育ててもらった。感謝。
悪いことは悪い、でも悪くないことだってある。
人さまに迷惑をかけちゃダメだけど、強い者に正義の気持ちでくってかかるなら、わたしが全部「すべての責任は母がとる!」と書いて渡してくれた。小さなメモ書きに。
ものすごく正義な母。弱いものは何がなんでも助けなさい、同じ目線でかがんででも話を聞きなさい。
強いものには負けようがかかっていけ!と言っていた。
つえーなぁ〜。
唯一ピアノの先生にだけは頭上がらなかったけどね。
言ってること全て正しかったし、娘の躾はピアノの先生がしてくれた、と今でも言う。
電話のかけ方から言葉遣い、目上のひとに話す態度。
「先生の言うことは聞きなさい」それが母の言い分なら素直に聞けた。母がいちばん正しいから。
娘を可愛がる父親に一度だけ殴られたことがある。
帰りが遅かったわたしに、怒りをこらえ「ご飯は?」と聞いてくれた母に「いらん。」と言ったとき。
「もっと丁寧に答えられんのかー!」
と、村中聞こえるくらい大声で怒鳴られ殴られた。
吹っ飛んだ。今でも忘れない。
それ以来、中学生のあの日以来、母にそんな態度をすると、家の長がいちばん怒るんだ、と思い知らされたあの日以来、わたしは母への言葉遣いに気をつけるようになった。ありがたい。
母はつよい。心底つよい。今は本当によく笑うしよく食べよく飲む。そして先祖さまと自分をもらってくれた父をものすごーく大切にしている。
見習いたい、あんな女性になりたい。かっけーな。
たくさんの逸話と笑い話を携えて69歳?かな。
まだまだ元気に笑っててほしいなぁ、憧れのひとよ。
お母さんを産んでくれたお爺ちゃんお婆ちゃん、お母さんをお嫁さんにしてくれたお父さん一家。みーんなにありがとうと、お母さん、お母さまよお誕生日おめでとう♡
娘はあなたみたいな女性になれるようにがんばります。
STGsを唱えながら今日も趣味の野菜を無農薬で作り、野菜のカスを肥料にし、お花に話しかけて仏さまにお供えするご飯を(自分の主食は麦=ビール)炊いて笑って、お誕生日も何も変わらない一日を過ごすのでしょう。
娘は母の一番いま欲しいApple Watchを買うために今日も仕事に出かけますが、朝からLINEしますね、あなたの娘に産んでくれてありがとう、おめでとうと。