【昭和歌謡名曲集39】AKIRAのテーマ 芸能山城組
芸能山城組、1988年。
「アニメージュ」に「風の谷のナウシカ」が連載されたのが、1982年である。同じ年、「ヤングマガジン」で「AKIRA」の連載も始まった。
日本のアニメーション史を革命的に変えた二作品の原作が、同時期に始まったのは感慨深い。
因みに、アニメ映画の発表は、「ナウシカ」が、1984年、「AKIRA」が1988年である。
今、ジブリのことは誰もが言う。先に亡くなられた鳥山明の「ドランゴンボール」のことも、誰もが言う。彼らがアニメを世界に繋げたのだ、と。
それはいい。その通りだろう。だが、「AKIRA」が世界に与えた衝撃を忘れてはいけない。特にイギリスでの評価は高い。
アニメを大人の鑑賞に耐えうるものとして、よく「宇宙戦艦ヤマト」が揚げられるが、甘甘のナルシズム、自己陶酔が酷くて、私は苦手だ。
「AKIRA」は、雑誌掲載時から、評判も高くエポックな作品であると、誰もが感じていた。手塚治虫がその画力と世界観に嫉妬したというのは有名な話だ。当時、私は「ナウシカ」は眼中になかった。そうした若者は多かったと思う。
なのに今、なぜか「AKIRA」は、あまり言及されない。内容が反社会的で暴力的だからだろうか。
中学校の国語の教科書で、避ける文学作品は次の三つだそうだ。
1、差別
2、暴力
3、恋愛
これをテーマにした小説は、基本的に教科書に載らない。これを扱うのは、強いて言うなら、道徳だそうだ。道徳!
例えば、中学生が恋愛を文学作品として学ぶのは、古典の古今和歌集まで待たねばならない。暴力を学ぶのは、平家物語だ。差別はもとより、ない。現代の小説として、現代の問題として、これらのものは扱わない。
今、どんなに世界に暴力が溢れ、差別が溢れ、恋愛が溢れていても、それを扱った文学作品には触れない。まあ、それは学ぶようなものではないのかもしれない。日本人は密かに性を知るように、密かに暴力、差別、恋愛を知るのである。
同様に、人は、誰に教えられなくても、やがて「AKIRA」に至るだろう。「AKIRA」を知るだろう。
東京オリンピックの開会式で「AKIRA」の金田バイクが登場する案があったそうである。だが、電通に潰された。「AKIRA」はないものとされた。平和の祭典オリンピックには不似合いと判断されたのだろう。誠に日本的な着地点であった。むべなるかな、誠に日本的なやり方であった。
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