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八帖「花宴」角田光代訳源氏物語(源氏のこと好きになれないんですけど)


二月の二十日ごろ、桜の宴が宮中で行われる。皇子を産み、藤壺は皇后になっている。東宮の母弘徽殿はいずれ皇太后である。帝、藤壺、東宮の前で源氏は舞をひとさし舞って歌を読む。どちらも素晴らしい。やんやの喝采。負けじと頭中将も舞を舞う。

夜がすっかり更けて、みな帰ったが、源氏はどうも帰る気にならない。出た、女漁り。源氏!そういうとこだぞ!
藤壺の御殿辺りを伺うが、扉がきっちり閉まってて中に入れない。で、足は弘徽殿の西廂に向かう。あ? 行ってまうの? それ、いっちゃんダメなやつじゃん。弘徽殿、源氏大嫌いやのに、また問題起こるようなことをわざわざしてからに。

でも、なんも考えてない源氏はまんまと忍び込み、「朧月夜に似るものぞなき」なんて呑気に歌ってる美しい姫さんを見つけ、関係を持ってしまう。明けて、人の気配がするので、姫さんとは名さえ交わさず、別れることとなる。勿論姫の方は源氏と分かっている。源氏も姫が右大臣・弘徽殿側のもんじゃぐらいは当然わかっている。分かった上で・・・。もう、あんた弘徽殿さんと上手くいってないんでしょ! こんなん絶対揉めるのに、わからん奴やなあ。

源氏は、のんきに女が頭中将の嫁の四の君とか弟帥宮の嫁やと面白いんだが、とか考える。何考えてんだか。源氏って揉めるの絶対楽しんでるよね。あんまり自分に自信があるんで、なんとでもなるって思ってる。

あの女は若かったからなー、やっぱり五の君か六の君だろうなー。六の君なら東宮に入内させる話とかあるようだし(!)、それなら気の毒だったなあー、て自分でやったくせに。
でも何番目の姫さんか、知りたいなあー、また会いたいなあー、とか、諍いの種、撒いといて全然自覚ない。

姫、朧月夜は六の君であった。

三月二十日、右大臣家で、藤の花の宴がある。招待されたが源氏は行かない。が、迎えの使いが来たので嫌々出かけるが、御殿は派手好み、下品なしつらえで気に食わない。まあ、源氏はせっかく来たんだから、朧月夜の素性を探るかと、酔ったふりして寝殿にずけずけ入る。まったくどっちが下品だか。で、それらしい姫を見つけ出し、歌で謎かけすると、歌でそうですと返事があった。
これ、いや、絶対揉めるで!
六の君の入内は四月でやんす。

うーむ、ここまで読んできて、全く源氏に感情移入ができないんですけど、どうしましょうか。「源氏物語」に挫折する男って、この辺でそろそろ飽きが来るんでしょうな。でも、頑張らねば、名作なんだもの、とか思って「須磨」くらいまで頑張るが、それまでのダメージの蓄積が限界を迎え、離脱する、と。これを「須磨源氏」言います。ああ、式部よ。源氏をもっとええやつにしてくれ! ここまで「末摘花」だけやぞ。源氏に心寄せたんは!

と、ここまで書いて考えた。もしかして「源氏物語」はピカレスク・ロマンなのかも。だって欲望のまま女を漁り続けるんだもの。ドラマの主人公で浮かぶのは、沢田研二やなくて、緒形拳やな。(沢田研二は若く美しい頃、源氏をドラマで演じた。緒形拳は「復讐するは我にあり」で、女漁りしながら逃げる犯罪者を演じた)   金持ちやから犯罪は犯さんがの。倫理観も糞もない、散々やっといて、んで「もののあはれ」とか全く理解できんぞ。わからんぞ。
 人は言う。現代の倫理観道徳で、当時を測ってはいかん、と。いかんのか? 感想は自由やろ。

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