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三十八帖「鈴虫」その2。角田訳源氏(みんな離れてく)

尼宮(女三の宮)は持仏の開眼供養をする。源氏は贅を尽くしてそれを助ける。
源氏は尼宮に未練があるが許せない気持ちもまたある。尼宮もそれは知っていて、あからさまではないが源氏を疎ましく想う。
源氏は庭に秋の虫をたくさん放つ。その声を聞いて、聞く人もない山奥で鳴く松虫は、人に馴染まない虫なのですね、とか当て擦りを言う。
 中秋の名月の頃、宮中の十五夜の宴が中止になったので続々と六条院に殿上人が集まる。
そこへ院から誘いの便りがある。面々は大挙して院の御所へ向かう。宴をし、歌など詠んで迎えた明け方、源氏は秋好中宮の部屋へ行く。
中宮は出家を願っていた。その思いの中には、母六条御息所が成仏できず物の怪となり果てている悲しみがある。
源氏は在家のままご供養なさいませと言う。

作家西村賢太の父親は性犯罪者だという。逮捕され収監された。私小説作家という職業故に、カミングアウトできて、尚且つ作品にも昇華できた。
だが、普通の人はできない。矢張り恥ずべき隠すべきことだ。平安時代に性犯罪で逮捕はない。そっち方面はおおらかであったようだが、流石に自分の母ちゃんが物の怪で、人を二人も取り殺し、三人目も危うかったとなれば、平気ではおれないだろう。出家の希望もむべなるかなである。

でも、源氏としたら、女三の宮も出家、秋好中宮も出家、紫の上も出家などとなったら、いたたまれない。自分こそ出家したいのに、何くれと女たち子供たちの世話もせねばならない。自分はできないが、女たちはいとも簡単に出家を言う。
だから思いとどまらせたいのか。そればかりでなく、源氏は出家を願いつつ、もともと出家そのものを厭う気持ちもあるように思う。
読者としても、華やかな栄華を極めたままで、出家していくなんて、勝ち逃げだろ感もある。
女に裏切られ、厭わしく思われ、年もとり、それでも現世にいる源氏をもっと見ていたい。老醜を晒すのか、それでも優雅なのか。

読者は別にスーパーマンの話が読みたいのではない。
人間が読みたいのだ。
源氏はいかにして生涯を終えるのか、そこが読みたいのである。

源氏50。尼宮、秋好中宮、ともに21か22くらい。

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