三十四帖「若菜上」その2。角田訳源氏(前兆。仕込みは万全)
十月、嵯峨野で源氏四十の薬師仏供養が行われた。同二十三日、精進落としの宴が二条院であった。双方ともに盛大な見事なものであった。仕切りは皆、紫の上。その華やかさに、源氏は過ぎ去った桐壺帝の頃を思い返していた。
十二月、秋好中宮が里下りをする。源氏の四十の寿ぎの宴がここでも行われる。
ここまで、源氏の四十の祝いは、玉鬘、紫の上、秋好中宮と、縁の女たちで盛大に行われる。奥ゆかしくも花散里は、衣装の選定などに力を尽くす。太政大臣をはじめ、殿上人の残らずが六条院に集まることとなる。
年が明けて、明石の女御が母と共に出産のため六条院に下がってくる。大尼君(女御の祖母)は喜んで側に控えて昔話する。源氏が明石に来て、明石の御方と結ばれて、姫が生まれ、切れかかった源氏との縁が繋がり、こうして都に戻ることができた、と。女御は本来身分のない身であったが、源氏が養女とし、紫の上が厭うことなく育てられたので今があるのだ、と。
女御は無事男の子を産む。それを伝え聞いた明石入道(女御の祖父)は、全ては成ったと、屋敷を寺に作り替え、領地を寄進し、自らは数名の供を連れるだけで、山の庵に隠れてしまう。思い残すことはなく、現世との縁を全て切るのである。
ヘタすると、ナレ死のような扱いさえされた、これまでの出家と、ちょっとトーンが違う。詳しすぎる。
たぶんここで、式部は言いたかったのではないか。
みんな苦労してるんやで!
玉鬘は、現太政大臣の娘、育て親が源氏であるのに、髭黒の嫁となる。
紫の上は子供の頃に有無を言わせず誘拐され、十二で親と信じた源氏の嫁になる。
秋好中宮は、生霊ともなった六条御息所の娘で、伊勢の斎宮であった。
花散里は縁があった故、六条院にはいるが、陰の存在であり自らもそれをわきまえて生きている。
明石の御方は身分がなく、自分の娘を紫の上に託すしかない身の上であった。
書かれてないが、空蝉も朝顔も朧月夜もみなそうなのだ。なにって、みなそれぞれに女としての重い人生の積み重ねがあるということ。
そうした諸々の人生の重みを持った女君たちの多くが、今、六条院にいるということ。
ただひとりの例外を除いて。
なんの苦労もなく、大事に大事に育てられ、生きる悩みなど何もなく、女としての狂おしい嫉妬も知らず、ただただ美しく、可憐で、純粋培養されて、蝶よ花よと育てられた姫、女三の宮。
明らかに式部は、対比させて書いている。
この後、蹴鞠の会のとき猫が逃げ出し、その首に巻かれた紐が、図らずも御簾を押し上げることとなる。して、そこにいた女三の宮の顔形姿形が丸見えとなった。偶然、柏木はそれを見て心奪われてしまう。
ほい。悲劇の準備は整った。