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藪原検校 井上ひさし

井上ひさしには名言が多い。毎日朝起きると、名言をひとつ考えるのが日課だったそうだ。それは嘘だが、それくらい多い。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことはあくまでもゆかいに

これは中でも有名なもので、仙台文学館に行くと色紙やファイルにして売っている。お立寄りの際は、ぜひ購入を検討してほしい。

話をもどすが、ひさしはよくユーモア作家と称される。なるほど彼の文学の殆どに笑いがある。笑いにまぶしてイデオロギーをだしてくるので、気をつけなければいけないが、彼はどうして、そんなに笑いにこだわるのだろうか。

日本人は辛い悲しい苦しいことをたくさん経験した。だから、辛い悲しい苦しいことをもう書きたくはない。できれば、楽しい嬉しい腹をかかえて笑えるような物語を書きたい。書いていきたい。

出典を忘れてしまったが、こんなふうなことを井上ひさしは言っていたように思う。確かに日本は戦争を経験したし、ひさしは子供の頃、児童養護施設にいた。

それから彼は浅草で「てんぷくトリオ」の台本を書いて、「ひょっこりひょうたん島」の脚本家に抜擢され、「ブンとフン」というハチャメチャな小説を発表した。
それからもずっと、それこそ死ぬまで、笑いを書いた。

だが、そのひさしが常に明るい日向周りの小説ばかり書いていたかというと、そうではなくて、中には暗い陰惨な小説も書いた。
例えば「四十一番目の少年」は児童養護施設にいた時の話で、とても「握手」と同時代とは思えない、嫌な小説である。

「藪原検校」も、井上には珍しいピカレスクロマンである。東北の片田舎に生まれた盲人が、悪の限りを尽くして、その最高位検校に上り詰める、という話である。殺しも盗みも強姦も、嘘も騙しも裏切りも、なんでもござれの極悪人である。
過去にどんな差別や偏見があったにせよ、とても容認できるようなものではない。
それを井上ひさしが書いた。初読の時の衝撃を今も忘れない。

後に、井上ひさしは家で奥さんをガンガンに殴っていたことが報じられる。私は作家と作品を分けて考えるタイプの人間なので、このニュースで「手鎖心中」などの小説の価値が、いささかも下がることはなかったが、「藪原検校」をふと思い出し、何か妙に納得する思いがした。

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