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【短編小説】演歌道(青雲立志編)

 世に怪しい商売は山ほどあるが、怪しいは怪しいなりに場所柄をわきまえて欲しい。シャッターが多く降りてる暗いアーケード街の奥に、ぼんやり灯りがついている。そういう場所に、例えばタロット占いの婆さんが、ひっそりと店をやってて欲しい。ギイっとドアを開けると、ジプシーの格好をした婆さんが、こっちを暗い目をして見ていて欲しい。
そう、そんな場所を、駅裏の、通りから外れた雑居ビルの三階に、僕はやっと見つけたのだった。

西洋占星術・水晶・タロット

見上げた窓には、そうオドロな文字で書かれてあった。よく見ると、最後に"手相"と小さな文字もある。西も東も完璧じゃないか。迷わず僕は、そのビルに足を踏み入れた。
ドアを開けると、想像通りの小柄な老婆が机を前にして座っている。
「いらっしゃい。占って欲しいのかい」
「はい。お願いします」
店内は薄暗く、丸い大きな水晶が机の上にある。
「今日はカードはやらないよ。さっきの客が悪い札を引いちまってね。空気が澱んでるのさ。悪運が、その辺をまだ漂ってる。あんたを不幸にしたくはないからね」
「どうしても占って欲しいんです」
「いいよ。水晶ならね。さあ、お座りよ。何を占う? 金か。女か。出世か。それとも、あんたの死に様か」
促されるまま、僕は席に着く。
「幾つだい」
「18です」
「ふっおほほ。こりゃ若い。久しぶりだよ。こんな若い客は」
「夢があるんです」
婆さんは笑うのをやめて、まじまじと僕の目を見る。
「いいね。若いんだから、そうでなきゃ」
「歌手になりたいんです。どうしたらなれるか、教えて欲しいんです」
「それは、占いじゃないね。あたしは願いを叶える神様じゃないよ」
「わからないんですか」
「どうしたらなれるかはわからない。だけどね、チャンスとどこで出会えるかなら、言ってあげられる。いいかい幸運の女神にはね、前髪しかないんだよ」
「はい。教えて頂いたチャンスは逃しません」
「・・・」
「通り過ぎてから、手を伸ばしても、女神の後ろ髪はないんですよね」
「・・・」
「わかってます。チャンスは一度」
「・・・」
「あの、お婆さん。もしもーし、どーしましたか?」
「ドアに貼ってあったろう。前金制だって。3000円」
「高くないですか」
「高かないよ。あたしの占いは百発百中。はずしたことないんだからね」
3000円払うと、婆さんは張り切って水晶の上に手をかざすのだった。

 そうか。こんな近くにあったのか、僕の夢が。
「近々、歌うチャンスが巡ってくるよ。それがどこであれ、なんであれ、逃すんじゃないよ。それが女神の前髪さ」
 商店街主催のカラオケ大会。歳末大売り出しの賑やかし企画。潰れた家具屋が更地になって、急遽、小さな舞台が作られている。会場の20脚ほどのパイプ椅子はまばらに埋まり、後ろに買い物客が十人ほどが立っていた。出演者だろうか、舞台下の右側に五人の男女が並んでいる。それとは別に商店街の半被を着た男二人が声をあげていた。
「カラオケ大会、はじまりますよおー」
「どうですかぁ。参加しませんかぁー。優勝すれば、豪華商品が貰えますよー!」
「なんと、商店街限定商品券が3000円分。いかがですかぁー」
 豆腐屋のおじちゃんと自転車屋のオヤジだった。近づくと、呼び込みをやめて、小声で話している。
「五人かよ。話聞いて歌わせても30分もたねえぞ」
「え〜。1時間は持たしてよ。せめて45分。表彰式込みにしても、あと二人、せめてあと一人いねえかなあ」
と、愚痴る二人と目が合った。
「あ、お兄ちゃん。カラオケ出ない?」
「今の若い人なら、カラオケくらいやるでしょ。別に上手くなくても、さ。ね。助けると思って」
別にカラオケくらい年寄りでもやるだろ。その誘い方。いかにも人数合わせな誘い方。
「駄目か。じゃ、お前でろ」
「誰が機械操作すんだよ。お前がでろ」
「だから俺は司会だって」
「出てもいいです」
言ってしまった。
「はい?」
二人は真顔でびっくりして、それからニタァ〜と笑った。

カラオケのカセットは3本しかなかった。演歌系、昭和アイドル系、ニューミュージック系。歌唱力を誇る自分としては、アイドルは、まず外れる。ニューミュージックも、歌詞とメロディは良くても、歌唱力で聞かせる歌は少ない。聞かせるんなら、演歌だ。
「"津軽海峡冬景色"でお願いします」
自転車屋のオヤジが渋い顔をした。
「いけませんか。高校生が演歌歌ったら」
「いや、いいんだけどさ。被っちゃうんだ。二番目に歌うスナック"アカネ"のママさん。この歌にかけてんだよ」
二人目に並んでるママさんは、濃いめの化粧に着物姿、髪もばっちりセットしてきて、目が血走っている。
「なるほど」
「変えてくんねえかなあ。頼んで出てもらってスマンけど。"チャコの海岸物語"とかどう?」
「そうですか。残念です」
「じゃあ、チャコの」
「"石狩挽歌"で、お願いします」
オヤジがギョッとする。
「"石狩挽歌"って」
「駄目ですか」
「駄目じゃねぇけど」
「カセットにありましたよ、"石狩挽歌"」
「若けぇの。お前に北原ミレイの哀愁が出せるのかい? やめとけやめとけ、火傷する。ウケ狙いでやるんならいいけどな」
「被ってるんですか」
「被っちゃあいねえが」
「じゃ、"石狩挽歌"で」

 西城秀樹の"ギャランドゥ"が終わった。一番目のおっさんと入れ替わりに、"アカネ"のママさんが舞台に上がる。声援。がんばってー、ママさーんの声。軽いインタビューの後、イントロが流れる。拍手。そしてーー。
 上手い。
しっかりした音程。コブシ、ウナリ、シャクリといった演歌ならではの高等技法。伸びのある声。そして何より情感がある。冬の海に女の情念が木霊する。
「うめえだろ。ママさんの歌は。踏んだ場数が違うからな」
「うまいです。でも、歌は場数ではありません」
自転車屋が睨む。
「じゃ、歌はなんで歌うんだ」
「心です」
「・・・"石狩挽歌"だな」
「はい」

ママさんの後、
"六本木心中"、
"ダンシング・オールナイト"、
"少女A"
と続いた。受け狙いの"ダンシング・オールナイト"以外は、皆うまかったが、やはりダントツは、"津軽海峡冬景色"。
「6番、吉田隆くん。高校3年生です。どーぞ」
舞台に上がる。
「こんにちは」
「こんにちは」
「隆くんは、歌が好きなのかな」
「大好きです」
「じゃ、将来の夢は歌手かな」
「そうです」
豆腐屋が軽く引く。
「えっと、普段カラオケなんかよく行くの」
「はい」
「友達と行くと盛り上がるでしょ。あれかな、文化祭の後とか行くのかな」
「いいえ。行く時は一人です」
「あ、そう。あれだ、一人カラオケってやつだ」
「はい。行くと一日歌ってます」
また、引かれる。豆腐屋さん。僕にとって歌は遊びじゃないんだよ。

歌は、歌は人生。

イントロが流れる。豆腐屋さんの前口上がそれに被さる。僕はスタンドからマイクを外し、二歩前に出た。

「寒風荒ぶ小樽の海に
男漁師の血が騒ぐ
ニシン大漁に栄えた街も
今じゃオンボロ寂れた浜よ
ご存知北原ミレイの名曲
石狩挽歌
歌うは山田高校3年2組野村隆くんです。
では歌っていただきましょう」


大会は二位だった。デキレース。と思いたくはない。確かにママさんもうまかった。ママさんは上機嫌で、3000円の商品券を気前よく僕にくれた。
「僕ちゃん、お上手。おばさん、感心しちゃった。こんど、お店に遊びにおいで」
「おいおい、まだ未成年だぜ」
慌てて自転車屋が嗜める。
「何言ってんのよ。昔の演歌歌手は十代でキャバレーで歌ってたもんよ」
「なんだ、経験あるみてぇな言い方だな」
負けて商品を譲ってもらうのは悔しいが、占いで3000円使ったので、ここは有り難く頂いておく。
「ママさん。歌、お上手ですよね」
「そうね」と遠い目をする。
「久しぶりだな」
不意に、後ろから声がした。振り向くと、着流しにジャンパーを引っ掛けた痩身の老人が立っている。着流し、寒いだろう。
あっ、とママさんが小さく叫んで老人に駆け寄った。
「竜さん」
不思議そうに自転車屋が尋ねる。
「誰?」
「竜。演歌の竜。あたしの先生。あたしの、いい人」
「よせよ。昔のことだ」
ママさんが少女のように顔を赤らめている。
「聞いたよ。お前の歌」
「嫌だ、恥ずかしい」
「なまっちゃいねえな」
「竜さん。嬉しい。でも、なんでこんなとこ」
「ちょっと野暮用でな。用事済まして歩いていたら、なんだか懐かしい声が聞こえたんでな」
自転車屋と僕はまるで蚊帳の外だ。自転車屋が僕の袖を引いて、無言で離れよう、と合図する。頷いて僕も二人から離れる。と、竜さんから声をかけられた。
「お兄さん。演歌は好きかい」
「え。僕ですか」
「歌い手になりてぇって、あれは本気かい?」
「本気です」
竜さんは、僕を、見据えてこう言った。
「三年、お前えの命、俺に預ける気はねぇかい」
「竜さん!」
ママが声をあげる。自転車屋が腰を抜かす。自転車屋の反応については、よくわからん。
「竜さん、あんた」ママが言う。
「この兄さんの歌を聞いてて、久しぶりに血が騒いだんだよ。俺は死ぬまで演歌師さ」

「隆。高校卒業したら、お父さんの工場入るって言ったよね」
「言った」
「お父さんの工場、大変だって知ってるよね」
「知ってる」
母さんは、イライラして、エプロンの裾をクチュクチュにする。
夕食後、僕は自分の思いを家族に告げた。
「何? 歌手になりたいの?」
「そう」
「あんた、馬鹿じゃないの」
「馬鹿かもしれない」
「そんな演歌の竜だかもぐらだかって人、信用できるの」
「できる」
親父は黙って、側で酒を飲んでいる。
「あんたって子は。夢みたいなこと言って」
「だから、三年。三年でいいんだよ。俺に時間をくれよ」
頭を下げた。
「お父さん!」
母は父親に助けを求める。
「隆。よく考えたんだな」
「うん」
「三年だぞ」
「お父さん!」母が叫ぶ。
「おめえは黙ってろ。子供の夢に添ってやるのが、親ってもんだろ」
「だって、工場が」
「人手不足なら、俺が倍働くさ」
「お父さん」
「隆。三年、やれるだけやってみな」
母さんは泣いていた。泣きながら何度も頷いた。

トランク一つでホームに立った。送らねえぞ、と親父は言った。母さんのいつも通りの味噌汁飲んで、これで終わりと家を出た。行くのは年明け一月と決めていた。高校に退学届を笑って出した。
「先生、お世話になりました」
「どうして、あと三月だぞ」
「いいんです」
ホームで空を見上げた。一月の空は抜けるような冬晴れだった。
婆さん、前髪だけはつかんだぜ。

           了

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