NYでイタリア人を夫にするまでの話①
■舞台はNY、冬
夢の海外で働き始めてから4か月が経とうとしていた。日本では上出来の部類だった英語も、ニューヨーカーにはほとんど通じず、言われていることも30%くらいしか聞き取れない。
街に出れば会話の半分以上は予想で乗り越える生活。仕事でも掛かってきた電話で相手が何を言っているのか、ほとんど聞き取れず同僚に代わってもらうしかない現実。
英語力では打ちのめされまくり、8時から20時までの日本みたいな労働時間で、Sex and the City みたいなマンハッタン事情なんてひとつも知らずに最初の冬が過ぎた。
■そして春が来た
同じオフィスの経営企画部門にイタリア人のMarioが働いていた。いつも楽しいことだけを考えているような笑顔。イタリアンだけどニューヨーカーになって生きているたくましさ。
彼のイタリア語なまりの強い英語で、第二外国語同士の安心感もあって、休憩室で会えばサッカーとおいしいイタリア料理の話で盛り上がった。
イタリア人は人懐っこくて話しかけやすく、すぐに仲良くなれるのは、世界中どこでも同じみたいだ。
(実際イタリアに住んでいると、びっくりするくらい知らない人同士で話し、ジョークを飛ばし合う。え?知り合いじゃなかったの?と思うシチュエーションだらけなのだ。)
■ニューヨーカー英語に慣れる
NY大学でMBAを学び、そのままニューヨークに住み働いているMarioには、日本の奴隷みたいな働き方から早く脱却して、ニューヨーカー生活を楽しまなきゃ!と励まされた。
マンハッタンのおいしいレストランや、素敵なバーやらクラブまで教えてくれた。ついにサラ・ジェシカ・パーカーに一歩近づくことができる!という希望を胸に、行動範囲を徐々に広げていくのであった。
バーやクラブに一緒に行けるパートナーはまだいない。
仕方ないが、休日にはMOMAやメトロポリタン美術館、セントラルパークやSOHOをぶらぶらし、トレーダージョーズで野菜を買い、ブルーミングデールズで服を見て、だんだんとニューヨーカーライフに足を踏み入れることができた。
ブロードウェイミュージカル、お買い物天国のNY。喧噪の中に流れていく英語を必死に聴き取り、シャドーイングした。気さくに話しかけてくれる店員さんとも、世間話をして生の英語にふれた。
こうして少しずつ、人種のるつぼニューヨークに慣らされていった。
-----------------------------------------------
◆今日の使ってみたい英語フレーズ◆
Little by little, I gradually got used to the melting pot of many races and cultures in New York.
少しずつ、ニューヨークの様々な人種や文化のるつぼに慣れていった。
興味深いことに近年では、melting pot より Salad Bowl と呼ばれるようになった。そのわけを見てみよう。
NY is more of a salad bowl than a melting pot. Melting pot implies that different people’s, styles, theories, ideas, are “melted” together while in the salad bowl model, different cultures are brought together - like salad ingredients - but do not form together into a single homogeneous culture. Each culture keeps its own distinct qualities.
NYはメルティングポット「とろける鍋」というよりは「サラダボウル」のようなものだ。「とろける鍋」は、異なる人々のスタイル、理論、アイデアが一緒に「溶け合う」ことを意味する。一方「サラダボウル」の場合は、異なる文化は(まさにサラダの具材のように)一緒にまとめられるが、単一で均質な文化として形成されるのではない。それぞれの文化は、独自の異なる品質を保持するのだ。