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「ブタゴリラ」が自分のクラスに、もしいたら。

あなたならどうしますか?

きっかけはドラえもんのジャイアンとキテレツ大百科のブタゴリラ、喧嘩したらどっちが勝つのかなぁ?なんていう他愛ない話だったのですが、調べてみると、ブタゴリラがちょっと心配になりました。
熊田薫という名前が男性的でないという理由から、自分のことをブタゴリラと呼ぶ子ども。名付け親のお父さんとしては、自分が熊八という名前で変だから、どちらの性別でも誇ってもらえるようないい名前をと思って薫とつけたようです。しかし、当の本人は女性的要素が強いとしてその名を恥じ、自らブタゴリラと周りに呼ばせるようになったというのです。なんという設定。討論では、ここにも何か作者の意図が隠されているのではないかという話が出てきたほどです。

考えてみれば、最近はあだ名を聞く機会が減ってきたように思います。特に身体的特徴や失敗を取り上げて名前を付けることはなくなったのかな?とすら思います。私の周囲にたまたまそういうのがないだけかもしれませんが。

あだ名は親しみを込めるためなどと言われていますが、多くの場合揶揄する目的であるのかなぁと思います。きちんと相手の名前を呼び合うのが尊重する態度につながるのかなと。
しかし、それも現代なればこそ。古くは相手のマナを呼ぶことは失礼にあたるとされていた時代もあるようです。あだな、あざなの意味。起源にさかのぼると、時代によって、その意味が変わるということもあるようです。

ぶたもゴリラも生き物の名前なのに、なぜ、悪印象を感じるのだろう?という話にもなりました。単純な固有名詞ですが、容姿や行動のどの部分を結び付けた比喩が意識して使われるか、言葉の受け手の中で強調されるかによってその意味は大きく変わるのかもしれません。
「ブタのように醜くて、ゴリラのような粗野さにあふれている」
「ブタのようにかわいくて、ゴリラのような力を備えている」
私は前者の意味もあるところから避けた方がいいのかなぁと感じたところです。
きっとこの子がクラスにいたら、「Bの意味で使っているのだろうけど、Aの意味もあるからちょっと心配だな。もしできるなら、別なあだ名を考えたら?」と諭すかもなぁと思いました。好きで使っているならいいのかもしれないし。周りとの関係性の中で問題なければ、まぁ、いいのなかな?
なんとも悩ましい、楽しい課題でした。

それにしても当時のアニメ。
ライバルキャラクターの名前と言うかあだ名には強烈なものが他にもあったような気がします。「ゴリライモ」…

ちなみに話はガキ大将から現代っ子の喧嘩の話に発展しました。次回は子どもの喧嘩について討論してみようかなぁと思います。2週間のうちに変わるかもしれませんが。

楽しみです。

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