そもそも席替えとは?

日曜朝8時から全国の有識者が集って喧々諤々盛り上がる、超人気企画の最終回に参加しました。

席替えの方法論。先生が意図的に決めるのと、偶然に任せるのとで分かれるところから始まりました。
授業成立を最優先に席替えをする。生徒側からは席替えは楽しみであった。席替えをすると生徒は落ち着かなくなるから嫌なんだよな~。などについて話しているうちに、あれ?これって教員都合の目線だなと気づきました。

こういうとき、私は最近、自分だったらとか、いわゆる大人の研修会ならどうだろうって考えるようにしています。
学校文化でよかったものは大人社会でも使われています。なくなっているものはいらないものなのかもしれないなと。

この考えに今回も当てはめてみると、席固定は研修で行われないことはもとより、会社においても大手では、想像力が固定化されないようにという目的でされなくなってきていると聞きます。オランダの職員室も確かそうだったような。

日本の学校の職員室は紙文化。
「自分の机」があると、そこに資料やプリントがたまります。
また、誰がどこにいるのかがわかりやすいのもメリットかもしれません。

教室ではどうか。
机の中に置き勉禁止>セキュリティ面と、家庭学習奨励の目的だったはずですが、その効果は?そもそも置き勉は資料保管場所の固定という社会人や職員室における自分の机が決まっているメリットを活かせていない?
教員側から誰がどこにいるかわかりやすくなる>集めたプリントを返す時、列ごとに返しやすいのは大きなメリット。でも紙離れが完了すれば、必要なくなるメリット。

で、ここで思ったのですが、主体的な学び、対話的な学びが奨励されるのなら、座席にこだわらなくてよいのかなと。むしろ、座席固定は様々な見方考え方の広がりに害悪ですらある?あの人の近くに座りたい、あの人と離れたいなんてことがあるなら、そうすればいい。人間関係が固定化されるのは別に良くて、授業で対話する相手が固定化されるのを問題視するなら、授業の目的に応じて組み合わせを変えればいい。
話を聞くかどうかは、座席とは違う問題であるような気もしました。
短時間で解決するものではなく、また、もやもやしながら一日を過ごすきっかけとなる、素晴らしい会でした。

それにしても、ファシリの方の温かいユーモアあふれる手練手管に翻弄されるのが心地よい、何とも不思議な学びの場でした。さ来週からはイケメン二人がむねきゅんバラエティ番組に生まれ変わらせてくれるとのこと。
とっても楽しみです。

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