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久しぶりの東京でかつての野心を思い出す

久しぶりに東京に来ている。この前帰ったのは2020年の11月。すでに新型コロナウィルスが蔓延し,いつ両親に会えるかわからないという中での判断で実家に戻って以来だった。

今回の目的は,創業体験プログラムでも大変お世話になり,2012年以来,可愛がって頂いている投資家の村口和孝さんの事務所でお話をお伺いするため。2020年12月末から始めたオーラルヒストリー研究の一環として,共同研究者の先生方とともに事務所へ向かった。

2022年は幸先良いのか。富士山が見えた。

これまで数回の調査では,村口さんの生い立ち,ジャフコ時代の仕事,独立してから起きたさまざまな出来事をお話頂いた。この中には決して論文や報告書にはできない類の話もあったりするのだが,まさに日本のスタートアップ投資の生き字引的な話がたくさん出てくる。毎回学びが多くて感心している。

この中には私たちが「創業体験プログラム」と呼んでいる教育プログラムの話がある(2020年のプログラムふりかえりはこちらから)。実際,ここ数年の卒業生の進路を見ていれば,「普通に」就職活動をして企業に就職するものもいれば,家業を継ぐことにしたもの,地域に出て活性化事業に取り組むもの,スタートアップ企業に就職するもの,そして自ら起業を選択するもの,実に多様になってきている。プログラムだけで成果が得られるものではないけれども,明らかにプログラムで得た学びが彼らの学生生活に影響は与えているだろう。そして,この多様性こそがゼミの特徴であり,少しずつ形になってきているように思う。

しかし,一方で,自分自身の力量の問題からうまく行かないことも多々ある。そして,何よりも自信がない。圧倒的な業績,誰もが唸る成果を出しているとは言えないからだ。もちろん,こうした仕事に圧倒的も,誰かが唸るもないのだけれども,必ずしもポジティブに捉えられているばかりではないことも承知している。それでも前進する。アントレプレナーシップとは誰にでも宿る一歩踏み出す勇気のこと。それを育てるのが私の仕事であり,そもそも今すぐに成果に結びつくようなものではない。

村口さんと共同研究に取り組む先生方とのディスカッション

さて,今日のテーマになったのは,この年末年始に村口さんが形にした「スタートアップ人生12ステップ」と銘打たれた人格形成から事業立ち上げ,会社設立,事業の組織化に向けて進む12段階を端的に表した文章。詳細は示すことはできないが,1から4までは人格形成,5と6は事業形成と会社設立,7から12は会社として事業にいかに向き合うかを示したものである。

ここで話になったのは,世にある起業家教育,新規事業立案は5と6の話をするべきであり,いわゆるOODAループに近いものなのに,PDCAと7以降で会社が採りうる管理に対する考え方を日本ではしてしまうこと,アントレプレナーシップ教育に相当するものは人格形成を含むものだということ。前者は明らかに大企業,官公庁偏重であるがゆえにその仕組みでしかマネジメントができないことに原因がありそうだし,後者については早期教育が必要になりそうだということだ。

そもそも創業体験プログラムを導入したのも,当初はPDCAなり,企業組織がどのようなものであるのか,商学部で学ぶ理論や知識を体感することがメインだった。特に管理会計なんていう領域は実際に経営をしてみないとわからないことも多く,そのつもりで導入した。

しかし,学生自身がまだ未熟であること,それを原因として起きる衝突,仕組みを自ら構築できないことなど,組織マネジメント以前の問題が多く見られた。また,回数が進むにつれてパターン化することを避けるために,徐々に学生のなすがままに任せつつ,必要なことをあとから追加的に教えていく方針に変えていった結果,教育内容のフォーカスがいわゆるアントレプレナーシップ教育にシフトしていった。細かい管理技法のことよりもむしろ,マインドセットを切り替えさせる。ここに焦点があった。

そんなこんなで,今日示された12のステップはまさに創業体験プログラムそのもので伝えようとしていることであり,村口さんからも改めて「福大はそれができている感じがするね」という評価の言葉を頂けた。望外の喜び。

と,今回の調査の話はそんなところなのだが,この話を聞いていた事務所にとあるパネルが置いてあった。

2016年,スタートアップ・カンファレンス登壇者による寄せ書き。

2016年3月に慶應義塾大学日吉キャンパスで開催されたスタートアップ・カンファレンスでの寄せ書きだ。村口さん発案の起業体験プログラムに取り組んでいる各大学の教員,それ以外にも今や日本を代表するベンチャーキャピタリスト,そしてDeNAの南場智子さんまでもが署名をしているものだ。

そこに私は九州から日本を世界を揺り動かす!と書いている。

見る人が見れば,何ともバカバカしいことが書いてある。笑われてしまうだろう。が,当時の私は(恐らく)本気で書いていたように思う。そして,これが指針になって今のような動きをしているのだろう。

揺り動かすほどのことができているのかと言われればそんなことはないのだが,少しだけ過去の自分の姿を見つけたような気がした。

これを書いた2016年からいろいろなことがあって,今は静かに潜行するように地域での活動領域を広げようとしているのだけれども,奇しくもそれがコロナ禍で広がり,1ヶ所,2ヶ所と活動領域が広がっているのは何とも面白い。離島を含む九州・山口がゼミのフィールドになりつつある。

タダでは死なない。誰もが見ているところとは違うところで逆張りを張り続ける。私なりのアントレプレナーシップだな,これ。2022年の最初に良いものを見ることができた。幸先の良いスタートなのかな。

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