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雑記(二四)

『万葉集』巻六に、「いざ子ども香椎の潟に白たへの袖さへ濡れて朝菜摘みてむ」という歌が載っている(九五七)。さあ、みんな、香椎の干潟で袖まで濡らして朝菜を摘もうではないか、というのが大意である。

 作者は大伴旅人。『万葉集』の編纂において中心的な役割を持ったと考えられる大伴家持の父で、このときは大宰帥、すなわち大宰府の長官であった。

 題詞には「冬十月、大宰の官人等の、香椎の廟を拝し奉り、訖はりて退き帰りし時に、馬を香椎の浦に駐め、各懐を述べて作りし歌」とある。官人たちとともに、仲哀天皇と神功皇后をまつる香椎廟への参拝を終えて、大宰府へ帰る時に、香椎の浦に馬をとめて歌を作ったという。旅人の歌のあとに、小野老、宇努首男人という人物の歌も載っていて、海辺に馬を並べて、しばし作歌に時を過ごした様子を想像させる。

『万葉集』の大伴旅人の歌と言えば、「しるしなきものを思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし」(巻三・三三八)や「あな醜さかしらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る」(同・三四四)などの「酒を讃むる歌」、あるいは「よのなかは空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」(巻五・七九三)の「凶問に報ふる歌」がよく知られている。それに比べると、香椎の潟の歌は、有名ではない。無難な作だから、と言ってしまえば、それまでだろう。

 ところが、松本清張はこの歌に目を留めた。名作「点と線」に引用しているのである。「一 目撃者」の章で、安田辰郎という機械工具商が、行きつけの料亭「小雪」の女中二人とともに、東京駅へ行く。鎌倉へ行くという安田を見送るのが目的であったが、そこで三人は「小雪」の女中のひとり、お時が男とホームを歩いているのを目撃するのであった。翌日の夜、安田がまた料亭を訪れると、お時は休みをもらっているという。昨日ご馳走になった二人が座敷に来て、お時のことがまた話題になる。「しかし、そのお時は、同伴の男といっしょに、思いもかけぬ場所で、死体となって発見されたのである」。これで「一 目撃者」の章は終わる。

 続く「二 情死体」は「鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある」とはじまる。博多湾、志賀島、香椎潟の位置関係を説明したうえで、一首を引く。「太宰帥であった大伴旅人は(中略)「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠んだ」。前章の末尾で二人の死体が発見されたという「思いもかけぬ場所」はここだと思わせるが、場面が東京から九州へ移る、突然の展開は爽快である。

 清張は続ける。「しかし、現代の乾いた現実は、この王朝の抒情趣味を解さなかった。寒い一月二十一日の朝六時半ごろ、一人の労働者がこの海辺を通りかかった。彼は、「朝菜を摘む」かわりに、家から名島にある工場に出勤する途中であった」。清張は、「乾いた現実」を生きる「労働者」に言及する際にも、「朝菜摘みてむ」という旅人の歌の表現にあらためて触れている。その筆は丁寧である。観光案内のように、いちおう触れておく、という程度ではない。

 この「点と線」で事件を解決に導くのは、警視庁捜査二課の警部補・三原紀一と福岡の刑事・鳥飼重太郎だが、この二人は小説「時間の習俗」にも揃って登場している。二つの作品はいずれも東京近郊と九州を事件に関わる重大な土地として設定しており、互いに外伝のような性格を持っていると言える。その「時間の習俗」は、冒頭に「早鞆の塩薙の藻に和布刈るかな」の句が掲げられていた。作者は「雲屛」とある。土地の風物と関わる詩歌が印象的に配されている点でも、「点と線」と「時間の習俗」は共通性を持つのであった。

 両作のトリックは同工異曲のようにも見え、「点と線」に比べれば、後発の「時間の習俗」には粗い印象もある。推理の過程に重みを持たせるために、犯行の事情を複雑にしてしまったのではないかと思われなくもないのである。しかし、「時間の習俗」もまた、相模湖畔、関門海峡、大宰府をしのばせる都府楼址などの土地の様子を印象的に配し、旅情をかきたてる。その点は、「点と線」に、勝るとも劣らない。

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