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『セイ・ナッシング』政治暴力の女性性

 北アイルランド紛争の歴史を描くDisney+配信TVシリーズ『セイ・ノッシング』は、政治暴力に染まる女性の物語である。アメリカ人である同名原作の著者パトリック・ラーデン・キーフが関心を抱いたきっかけもここにあった。男所帯な武装組織から社会を動かしていった主人公プライス姉妹に見られるのは「大義」で結ばれた絆である。一方、本作でスポットライトをあてられるもう一人の女性こそ、最大のミステリだ。一般市民の未亡人ジーン・マコンヴィルを「消した」のは誰なのか?

過激派シスターズ

 米国資本製作『セイ・ナッシング』は、ハリウッド式の女性活劇のように始まる。簡単な背景として、とくに1921年の北アイルランド成立以降、カトリック教徒はプロテスタント主導体制から投票権や雇用、住宅において差別的な制限を受けていた。英国志向の政府による治安部隊やプロテスタント系英国連合派の「ロイヤリスト」民兵組織による暴力も深刻であった。1960年代後半、アメリカの公民権運動に触発されたカトリック系市民権運動が弾圧されて英国軍が派遣されると、アイルランド統一すなわちイギリスからの独立を目指す「ナショナリスト」勢力が拡大。こうして始まったのが、双方が30年にわたってテロ行為を犯していった「ザ・トラブルズ」紛争であった。

北アイルランド紛争の勢力図
The Troubles – History & Background | Belfast Child

 1970年代初頭「ナショナリスト」武装組織のIRA暫定派(アイルランド共和軍)における初のフルタイム女性戦闘員となったのが、本作の主人公プライス姉妹。彼女たちは、ハリウッドヒロインのように知恵と度胸、そして女性性によって男性中心組織を切り拓いていく。10代そこらの女子というだけで警官や軍人からあやしまれなくなるし、色じかけができるようになったらなおさらだ。1973年オールドベイリー爆破事件後、英国政府が囚人移送に合意するほど反対運動が盛り上がった一因として、当のテロリストが若く美しい姉妹であったことの影響も否定できないだろう。

未熟だった政治犯の後悔

 政治活劇の中あらわになっていくのは、IRA暫定派の末端兵が未熟な若者ばかりであったことだ。テロ計画すら、前夜に泥酔してしまう10代の寄せ集めであった。
 自分のやりたいことや適正すら掴めぬまま政治暴力に染まっていった若者の象徴こそ、主人公ドロアスである。まず、カトリックとして差別されるな共和主義の家庭で育ったため、武装組織が身近であった。どこが始まりなのかわからない長く複雑な暴力の歴史は紛争そのものかのようだ。それでも、ドロアスは年相応に考えたらずの若者だった。現実においても、武闘派としての危険行為と注目に快感を覚え「楽しんでいた」と振り返った上、周囲からも「クールな反逆者」イメージに夢中だったと語られている。そもそも、30代まで生きる人生すら想像していなかった。だからこそ、30歳になると、だんだん地に足がついて過激思想から離れていく。
 こうして「女戦士」活劇が「加害者のトラウマ」ドラマへとひるがえる。膨大な取材を基にした『セイ・ナッシング』の特色は、元・過激派の晩年まで描くことにある。終戦によって夢やぶれた晩年のドロアスに残されるものは、アイルランド統一に背いた元仲間への憤怒、そして自分たちが「大義」のもとに犯した政治暴力への後悔である。

民間人の犠牲

自らをテロリストを認めぬIRAメンバーが好んだ呼称は「ボランティア」。なんとも自己犠牲のロマンが香る言葉だ。ドロアス・プライスのような戦闘員は、アイルランド統一のためならすべてを差し出す気でいた。自分の命どころか、他人の命すらも。

The Last Testament of a Former I.R.A. Terrorist | The New Yorker

 北アイルランド紛争は今なお暗い影を落としている。2012年調査では、北アイルランド成人の一割が紛争で近親を亡くし、三分の一が爆破を目撃していた。英雄視されることもあるIRA暫定派だが、一般市民からの支持が満場一致だったわけでもないらしい。紛争下のベルファストでは、プロテスタントと関係を持ったとされる女性市民が髪を剃られ全裸で電柱にくくりつけられる「罰」も報告されている。

遺族によると、常に子どもの世話に忙しかったジーンに諜報活動をする時間の余裕などなかった

 「大義」のもとの犠牲者こそ、ジーン・マコンヴィルである。享年38歳の彼女は元々プロテスタントで、カトリックの元軍人と結婚したため改宗した経歴の持ち主であった。10代のころからほとんどの時期を妊娠して過ごして10人の子どもの母親になると、宗教対立の紛争が悪化していき、プロテスタント移住区を追放される。こうしてIRA暫定派が拠点に使っていたカトリック向けアパートに引っ越すと、夫が癌で亡くなってしまう。彼女の兄弟はプロテスタントとして「ユニオニスト(英国連合支持派)」のバッチをつけて訪問していたという。ジーンはIRAメンバーのための銃保持を断り、英国兵に情けをかけた噂もあったため、失踪前より嫌がらせの標的であった。中傷を落書きされるのみならず、一家の犬が失踪したり、夜間の町で顔を殴られ裸足で彷徨う彼女が目撃されたりしていた。

女性だからこその政治暴力

 事件の夜、入浴中にさらわれたジーン・マコンヴィルは、IRAから英国スパイ疑惑をかけられていた。後年、英国政府側は彼女が諜報員であった記録はないと発表しているが、これを隠蔽と見る人もいるし、なにより末端の情報提供者だった場合記録されない可能性もある。当然、キーフが指摘するように、スパイ説がどちらであれ、IRA暫定派の残酷さは変わらない。

 晩年のドロアスの証言は重要であった。ドキュメンタリー映画『I,Dolours』での告白も含めると、事件当時「運び屋」であった若き日の彼女の役目は「密告者」搬送だけだった。ジーンが子持ちだと気づいたのも搬送中だったという。しかし、現場に連れていくと、部隊が殺害を躊躇した。「男たちはやりたがらなかった。ジーンを処刑できなかった。たぶん、彼女が女性だったから」。こうして「運び屋」のドロアスが「処刑人」にまわった。つまるところ、TV版の作劇に関して言えば、女だから女を殺せたのだ。女性性によって過激派活動を前進させていった『セイ・ナッシング』の主人公の行き着く先は、女性性ゆえに遂行された残虐な民間人殺害である。

「何も言ってはならぬ」

 ただし、ドロアスの供述は不明瞭であった。「処刑」を担当した三人のうち二人は彼女とパット・マクルーアだと認められながら、最後の一人だけ明かされず、三人称で物事が説明されていく。「ジーンは三人のボランティアによって(処刑場の)墓に連れて行かれ、一人に後頭部を撃たれた」……。マコンヴィル殺害を「誰にも言わない」と証明するため、三人で銃弾三発をわけあったという。しかし、後年の検死では、遺体に当たっていた弾は一つだけ。つまり、シェア説はドロアスの作り話か、単に当てられたのが一人だけだったことになる。TV版はこれを活かしている。ドロアスは撃てず、マリアンが「処刑」を執行した。
 この脚色は、TVシリーズのプロットツイストとしても機能する。劇中、姉妹の人生観がすれちがったきっかけは、姉側の刑務所での内省に感じられた。しかし、逮捕の数ヶ月前にマコンヴィル殺害事件が起こっていたのだ。若さの勢いで過激派武装組織に入り「運び屋」役に不満も覚えていたドロアスが「自分には向いていない」と気づいたきっかけは、この「処刑」にある。むしろ、自分が導いていると思っていた妹こそ「向いていた」のだ。これを踏まえて振り返ると、逮捕されたドロアスの「妹を巻き込んでしまった」罪悪感の重みが増す。マリアンを殺人犯にしたのは、彼女より先に「処刑」役を負いながらも撃てなかったドロアスである。

獄中ドロレスが妹の健康を心配する一方、マリアンは信条にもとづくハンスト継続を主張する。現実では妹が一年はやく出所してはなればなれになった影響も大きかった

 じつは「マコンヴィル殺害犯=マリアン」説を強く主張したのは2018年に出版された原作本であった。マリアン・プライス本人から否定されて物議をかもしたものの、キーフには自信があるようだ。存命人物に関する名誉毀損法が厳しい北アイルランドにおいて、誰も法的に訴えてこなかったからだという(確証には至らないが……)。もう一つ、TV版のストーリーテリングにおいて挙げられる根拠に『セイ・ナッシング』題のダブルミーニングがある。第一義は、アイルランド人の沈黙文化を詠んだ詩にもとづくIRA暫定派の掟で、「密告」を最大の罪とするもの。「何も言ってはならぬ」。第二義は、この掟をやぶったドロアスにかかる。晩年あれだけの暴露をしていった彼女が、最後まで「何も言わぬ」ほど気づかっていた三人目のメンバー……言い換えれば「大義」が粉々になろうと強固な絆を結んでいた相手とは、誰だろう?

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うまみゃんタイムズ
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