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いかに自分から逃げてきたか

小学校高学年頃であろうか。思春期に差し掛かると「自分とは何者か」他者との関係のなかで生かされている自分を認識し始めるようになるという。 だが、私は「他者との関係の中の自分」をほとんど意識する事がなかった。

世界の中心は自分であるという自己中心的な視点のまま育ち。他者は優越感と劣等感を抱く対象でしかなかった。「身長は負けているが頭は俺の方がいい」「あいつはイケメンだが俺の方が話が面白い」「あいつんちよりはうちの方が家が広い」といった感じである。

歳を経るごとに友人はどんどん減り、高校2年時にはまさに「陰キャ」の典型例となった。数少ない友人も似たり寄ったりの「陰キャ」である。

気づくと誇れるものは勉強しかなくなっていた。成績でしか自分の価値を示すものがない。ほかの方法を考えたり、何がしたいのかという本質的な問いに思考を巡らせることもなかった。躓くと「こんな顔に産んだ親のせい」「こんな奴らしかいないとこに生まれたせい」と他責思考に陥る。

恐ろしく単調な高校生活。部活と勉強だけに打ち込み友人と遊ぶこともない(できない)定期試験と模試の成績・部活の勝敗のみが自分のバロメーターとなっていた。交わりたくても交われない同年代の人々を眺めては「どうせ俺なんか」を心の中で連呼し、敵視するようになっていた。

医者になりたかったのかわからない。当時、国公立大学の医学部は定員が少なく非常に難易度も高かった。鬱積した劣等感を優越感に変えたい一心で、黒い負の泉から沸いた「見返したい」という自己中心的な欲望。わき目もふらずに勉強・勉強・勉強。誰からも必要とされていない気がして次第に自分に「生きている価値がない」と思うようになった。

決して頭はよくない。血のにじむような努力と気合で辛うじてもぎ取った現役合格。「生きていてもいいんだ」と思った。自分のような人間にも社会的価値を持てるような気がした。どうでもよかった。やる気のない屑学生。何も考えず最低限の勉強で・進級・国試をこなし医師になった。やっとこれで俺を見下してきた奴らを見返すことが出来る。でも研修医は病院の底辺。これまでの反動で周囲に威張り散らしては叩かれ女にも一切モテない。

再度、「生きるため」なんとか抜け道を探り専門医・指導医を取得した。

金と時間に少し余裕が出来てそれなりに遊べるようになった。だが思った「あれ、俺は生き延びて自由を得て何がしたかったんだろう」と。こんなことがしたかったのか?

本質的に向き合わず。他責と歪んだ自責思考に逃げてきた。つまり自分から逃げ続けてきた結果が今の自分である。

長い年月をかけマイナスからゼロに戻ることが出来た。これからゼロをプラスに。自分と向き合おう。そして自分の人生を見つけ。生きよう。

その過程はきっと楽しい。







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