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バイトをしなくなって僕は幸福になったのか、否
バイトが生活を不幸にしている
大学一年生のとき、バイト先にNOを言えず毎日のようにバイトに明け暮れていた僕は自分の生活を不幸だと思っていた。
みんなとワイワイしている時に、「バイトやから帰るわ」という時に感じる不幸と虚しさと無力感。
授業終わりに「今日飯行こうや」と誘われても「バイトやから無理やわ」と仕方なく帰る時の悲しさと儚さ。
バイトを辞めたら僕は幸せになれると思っていた。
だから僕はバイトを辞めた。細かくは辞めてはいないが土曜日の日中のみと極限まで自分自身を労働から遠ざけた。
いつ遊びに誘われても遊びに行ける。
課題に追われている時にも課題に集中できる。
そう思っていた。実際にバイトを辞めてから3ヶ月が経ったが、今の僕が幸せかと言うとそうではない。幸せではあるが、それはバイトを辞めたことが理由ではないし、バイトをしていた時も僕は幸せだったのだと気づいた。
結局、日頃の生活からストレスを完全に取り除くことはほとんど不可能なのだと気づいた。
たしかに、僕はバイトを辞めたことによってバイトによるストレスは感じなくなった。
今感じるのは、バイトをしないことによる、毎月毎月、貯蓄が減っていくことに対する不安感である。そんな状態では、決して満足して遊ぶことはできない。
そして、新しくできるバイトはないかと探してしまうのである。僕は忙しさを理由にやりたいことができていないのだと思っていた。
でも結局は、時間があってもやりたいことをしないのだ。だらけて、元来バイトしていた時間をだらだらと消費しているだけだった。そして僕は大してやりたいことなんてなかったのだ。
ならバイトをしていた方が良かったではないか。それが今の答えである。でもバイトをするとバイトによるストレスと再会する。ため息をつくしかない。
しかし、バイトがあったから休みが彩った(バイトをしなくとも休みは彩っている)
休みは貴重な方が大事に使う。
今は休みを無駄遣いしている。
バイトをしていた時なら、休みの日には何か1日に名前をつけるような意味のある行動を起こしていたような気がする。
働きすぎも良くないが、働かなさすぎるのも良くないのかもしれない。
何事もやりすぎは良くないのだ。
でも、どうせ働くなら楽しく働きたい。それが今の願いだ。
楽しい労働環境とは。
僕にとっては学校が今1番居心地の良い場所である。
バイトが学校以上に居心地の良い場所になればきっとバイトは苦にならないだろう。
だがそんなバイトはそう簡単には見つからない。
それまで僕はバイトを苦しみながらすることになると思う。
「私はバイト先が楽しすぎて大学を楽しめなかった」
これはこれで幸せかとも思う。
結局、欲張りはできないのかもしれない。
何かを我慢して、生きていく必要がある。
望んだものが手に入るのは独裁者だけなのかもしれない。いいや、独裁者すらも何かのストレスに苛まれているのかもしれない