壊れたしゃぼん玉/Broken Bubbles
「しゃぼん玉飛んだ。
屋根まで飛んだ。
飛んだと思ったら、壊れて消えた。」
郁子が台所で皿を洗いながら、幾分本家とは異なる『シャボン玉』を歌っている。生まれたばかりの子が夢も抱く前に亡くなってしまった哀しみを歌う歌詞を、全国の生まれたばかりの子どもたちが夢を抱く気持ちすらもわからない頃に歌わされる、哀しき風習の唄だ。
「ねぇ、育美はあした水族館に行きたいと言っていたよ」と、僕は我々の娘の話題を台所の妻に語りかける。しかし、彼女はちょうど僕が「ねぇ」と言ったタイミングで蛇口の流水形をシャワータイプにしたものだから、僕の声はダイニングの中で行き場を失ってしまう。そうなることくらい、判っていたのだ。
彼女にはそういうところがある。僕が話を始めた途端にくしゃみをしたり、欠伸をしたり、伸びをしたり、トイレに行ったりする。いま話をしないほうが良いのかと尋ねると「そんなことないわよ、生理現象なんだから仕方ないじゃない」と彼女は返す。そう言われてしまうと、僕としては何の反論もしようがない。どんなにシリアスな議論をしていたって、おならを我慢できなくなることは僕にだってある。きっと、チェ・ゲバラにだってそんなことはあるだろう。
「ねぇ、あのさ」と僕はもう一度郁子に向かって話しかける。今度は、蛇口のハンドルがきゅっと降ろされたのを確認して話しかけた。
「どうしたの?」と彼女が返す。まるで二人で話すのが初めてかのような表情と口ぶりだった。「こんにちは、はじめまして。何かご用かしら?」
僕はなかなか本来の用件を言い出すことができなかった。妻の表情に対しても、声色に対しても、萎縮してしまったというよりはもっと繊細な部分で、僕の機能は一時停止してしまったのだ。
「いや、なんでもないよ」と僕は漏らした。まるで突然北欧にある夜の来ない村に放り出されたみたいな気分だった。
「そう」とだけ、彼女は言った。
「午後はピラティスのレッスンが入っているのよ、わたし」
「そうだったね。気を付けて」
僕はダイニングの部屋の窓から外を眺めやった。12階の窓の外には生命の兆しもなく、シャボン玉だって飛んでこない。一般的なシャボン玉というのはいったいどこまで飛んでいくことができるのだろう。遠く見えもしない彼方から、ジェット機が進む音が聞こえた。
「しゃぼん玉飛んだ。
空まで飛んだ。
空だと思ったら、まだ屋根だった」
いっそ壊れてしまえばいいのに。
そう音声としての言葉には出さずに、僕はそのイメージを窓外の空に書きつけた。
風のなすままに、意味をなさぬままに、僕のイメージは流されていった。遠い国の遠い砂浜に漂着するガラス瓶のメッセージよりも儚く脆く、小川を流れ行く死んだ葉のように、僕の言霊は決して存在するはずがなかったものとして永劫に消え去った。
(壊れたしゃぼん玉/Broken Bubbles)