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レスリングを愛し怪我に愛された男の生い立ち、経験。🏋️大学生・圧倒的な怪我編。笑🏋️

こんにちは!

前回は僕の生い立ち、経験を高校生まで書きました。

簡単に言うと、
中学までは思い通りの人生、
高校から怪我と病気が加速。って感じです。


大学編入ります!

大学は専修大学に特待生として入学しました!
大学こそは怪我せず、練習を重ねて無双してやるぞ!!と考えていました。

そんな期待とは裏腹に待っていたのは、高校のときより過酷な怪我生活。


大学4年間での怪我と病気はあまりにも多くて、書くとごちゃごちゃしてくるので、とりあえず覚えてるやつを最初にざっと書きます。

両膝の外側靭帯断裂 3回     計9ヶ月休養
右足脛骨亀裂骨折(骨3つに割れた)    3ヶ月
左肘脱臼  2時間半放置された笑   3ヶ月半
首の神経根症とバーナー 100回位 計4ヶ月位
脳震盪 2回            計1ヶ月
足首捻挫 両足首一回ずつ      計2ヶ月
両膝の腫れ、水 数回        計1ヶ月
左肩関節唇 今も痛い笑       2ヶ月
右肩の腱板             1ヶ月
右お尻の肉離れ            1ヶ月
腰の神経根症(骨変形)  今も痛い笑   2ヶ月
肩の肩鎖関節 軽度の亜脱臼      2週間
膝の後十字靭帯損傷          2週間
へそヘルニアみたいなやつ       1週間
スネに奇跡の打撲連打         1週間
手の甲にエルボ入った         1週間
溶連菌や蜂窩織炎 2回ずつ      2ヶ月


これにプラスで覚えてない小さい怪我。
小さい怪我もめちゃくちゃ多い。
少なく見て1ヶ月位にしときます。

約34ヶ月の休養
4年間は48ヶ月
14ヶ月くらいは怪我してない期間がありました。
一年ちょい。

これにプラスで、
一年が52週で、週一回のオフ+解散期間で年間のオフが70日くらいなのでこれを引くと、


オフの日を引いたらざっと計算して僕の練習できた期間は、


ピッタリ一年くらいです!
👽🙈🙉🙊👽



んー逆にもう誇らしいよね。
ギネス乗らねぇかな。笑



どのような流れで大学時代のレスリング人生が狂っていったのかを書きます。



確か、大学一発目の試合は出れました。笑 
jocという試合で、2回戦目で大学2番の選手倒して、3回戦では今年オリンピック代表を内定させた乙黒圭佑君〈高校の時の兄貴。って勝手に思ってた。〉と試合をして点の取り合いから、ラスト30秒を切った時に逆転されまけました。正直めちゃくちゃ不服な判定でしたが、あーなるほど。と思いました。スポーツの角質を早々に味わい理解したのを覚えています。

ただ、専修に入ってわずかで強くなってることを実感しました。このまま積んでけば行ける!トップに!という革新も持てました!


次の試合が6月位に行われ、


ここから僕のレスリング生活が狂い始めます。


東日本新人戦という新人戦の準々決勝の試合途中で普通にリードして勝っているときに、
右膝の外側人帯を断裂しました。 
そのまま3ヶ月休養。 


復帰して一ヶ月経たないくらいにまた次の試合に出ました。 

準決勝にて、
またリードしてかってるときに左肘を脱臼。
外れ方もエグくてこれは痛かった。。 

しかも病院の対応がひどすぎて外れたまま二時間放置され痛みのピークが2時間続く地獄でした。
結局抜けた関節がハマったのは2時間半後。
完治には3ヶ月半。

膝の怪我期間にせっかく鍛えた上半身の筋力も失われました。。 


怪我の完治からまた、一〜ニヶ月後に試合に出ました。優勝したら世界ジュニアの代表権がもらえる試合、準々決勝の途中でまた外側靭帯を断裂しました!!😂😂😂😂

その試合は気合で続行しました。
どうしても世界の切符が欲しかったから。

試合には勝ったのですか、準決勝には出られる状態ではなく棄権。

まさかの3大会連続で試合中に大怪我で棄権。

流石に堪えたなぁ。
また3ヶ月休養。
またまた降り出し。

次は、肘の脱臼で鍛えた下半身の筋力も失われました。笑




だけど2年の冬にいきなり超絶事件が起こります!いい意味で!!

膝からの復帰後2ヶ月全く怪我がない状態が続き始めて練習をちゃんと積んだ状態で試合に出られました。そんなコンディションで挑んだ全日本大学選手権。こんな練習してから出る試合は初めてでワクワクしてました笑

くじ運にもめぐまれ、激戦階級でまさかの優勝。

まさかのいきなり、
全日本大学生チャンピオンに。笑 
 ワーイ(~‾▿‾)~


僕は、「神様からのご褒美」だと感じました。

僕はよく世間で言われるような綺麗事は嫌いなタイプですが人生で初めて、
「努力は報われる」
という言葉を信じました。
信じざるおえなかった。

なぜなら僕は怪我してからの3ヶ月間、どこの誰よりも努力した自信があったからです。


その後は色んな怪我を重ねながら、3年の夏にはついにまたおっきいのやりました。 
右足首の脛骨を亀裂骨折。骨が3つくらいに割れていて、手術の一歩手前でした。


僕はこの時に初めて心が壊れました。


人の心が本当に壊れると、どうなるか知ってますか??




無関心になってしまうんです。
どんなに好きだったものでも、無関心になります。




あんなに大好きで、レスリングが楽しくて、どんなに怪我しても強なることを諦めなかった私の心がついにぶっ壊れ、レスリングに対して無関心になりました。もうどうでも良くなってしまいました。


この怪我をきっかけに僕の人生観。価値観は大きく変わります。

ここの話はとても大切なので後に語ります。


この怪我は少し長く、3ヶ月半かかりました。
そして復帰してまた一ヶ月経たないくらいに試合に出ました。昨年優勝した全日本大学選手権です。


結果は5位。
普通にやれば負けない相手に2回負けました。
完全に試合への勘や動き方を忘れてました。
自分の弱さ、不甲斐なさに本当に腹立ちました。 


怪我明けだから仕方がない。
周りの人は口を揃えて言いました。
けど僕にはそんなことはなんの関係もなかった。
なんの理由にもならなかった。
負けは負け。それ以上それ以下でも無い。
それがこのスポーツの世界のルールだと知ってたから。



足首が治り、全日本選手権に向けて少し練習すると、突然腰が痛くなり立っていられなくなりました。あまりにも痛いんで検査すると、
背骨の骨変形により神経根症という症状が出ていて2ヶ月後休みました!


2ヶ月休んで、
スパーリング復帰一日目に、
左膝の外側靭帯ほぼ断裂して2ヶ月また休みました!🙊🙉🙈👽


すげえだろ!!なぁ、すげえだろ!!爆泣

もう訳わからないよね。笑 
この時には既に、自分の思考をコントロールする力がついてたから。メンタル的には割と大丈夫でした。笑


復帰してからもまた色んな怪我や病気重ねつつ、夏が終わる頃には首の神経根症状、バーナー症候群に悩まされ日に日に練習ができない状態になっていき、日常生活で左腕がずっとしびれたり、寝返りすら打てないような日もよくありました。

首が日に日に悪化してく中で脳震盪で体調不良が続いたりなんやかんやで年末の全日本選手権まで体を騙してちょっとずつ練習していきました。

だましだましっていうかもう、Mr.マリック並みに騙してましたね。じぶんのこと。🙊🙉🙈👽


全日本選手権は準決勝で負け5位。
悔しかったですが、
練習しないで勝てるほど甘くないよな。
と客観的に捉えてる自分もいました。

もう正直、学生の間で勝つことは諦めていました。この時は、怪我をなくすためにずっっっっと動き続けていたことが少しずつ自分の中で形になってきていて、自分がトップに行くには後2年はかかると考えていて計画もしっかり立てていたので焦りはなく気持ちは安定していました。

大学卒業後にはプロとしてはパリオリンピックを目指しながらレスリングだけやってれば収入がもらえる契約が取れていたので数年先を見据えていました。



全日本選手権が終わり、首を治すために休養に入り練習をやめて3ヶ月経った頃、
  
大学の卒業発表がありました。




留年が決まりました。㊗㊗㊗




僕の人生はがらっとまた変わります。


長くなりすぎたので一回ここで区切ります。笑  


次の記事は、留年した経緯、
今の僕の夢、どんなことをしてるのかを書きます。  

次回で僕の生い立ち、怪我経験は完結させます。 
なので次の次から、僕がこれらの経験を通して得た宝物を皆さんにも提供出来るように記録していきます!!

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