奈良県春日大社にて
この仕事をやっていて良かったなと思う。
会社の金で大好きな場所に来れたことは、俺にとって喜び以外の何でもない。
さて、10年前まではよく足を運んでいたこの場所に再び立ち、今俺は何を想うのかを確かめるとしよう。
昨日、今日と奈良は暑かった。
往生際の悪い夏がまだ立ち止まり振り返っては俺の水分を奪っていった。
昨日は奈良公園を時間の許す限り歩き回った。
観光客と神鹿を潜り抜けながら足早で向かったのは、春日大社。
ここは10年前、適応障害とパニック障害を併発していた時に母と訪れた場所。
以前より俺は何かあると必ずここに足を運んでいた。
神聖なる場所に足を踏み入れ、神様にご挨拶をし祈った。
厄除けに関するお守りと悪縁を断つお守りの2種類を手に入れ帰路に着くと不意に様々なことを精査したくなった。
俺自身の活性が落ちるような人間関係、不要なモノ…。
極端に言えばこの伸びた髪すらも切り捨てたくなった。
結局、俺は髪を伸ばしても邪魔だからと帽子に仕舞い込む男であり、何よりセックスの時に伸びた前髪は邪魔で仕方ない。
なんてな。
冗談はさて置き、ここ1ヶ月で周りの人間や自分が生きていることを振り返った時に、自分に寄りつく厄やら悪縁やらは自分が作り出してしまった結果なのだと分かった。
大抵そういったものが寄り付く時は俺が自分の思想や価値観を大切に出来なかった時なのだ。
そう。
こういった気付きをくれるのがこの奈良という場所なのだ。
どう考えても何かしらのエネルギーがこの土地には蔓延している。
このまま東京に戻り、俺はまたクソにまみれてしまうのだろうが、1年も経たないうちに再びこの土地を踏むことになるのだろう。
それは俺が求めているからであり、この透き通った空気を突き抜けて降り注ぐ太陽の囁きを目一杯に細胞の片隅にまで届けたいから。
そしてこの恍惚とした快感と、日常に蔓延る不快感の調和の為に。
俺はそんなことを昼下がりの大和西大寺にて思った。
今はまだ静かに眠る桜の木のそばで。
さようなら、ヘドロのように溜まった情。
さようなら、快感になるはずだった不快感。
当たり前の中にある特別に目を向けて祈り眠ります。
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