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いつか想いを重ね合うために、星野源は「ひとり」であることを歌う。

【星野源/うちで踊ろう(大晦日)】

2020年4月5日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、全国的に「ステイホーム」が声高に叫ばれる中、星野源が弾き語り動画"うちで踊ろう"を公開した。


僕はこのメディアを通して、この曲の可能性について何度も繰り返して力説してきた。そして、12月に公開した年間ベストランキングでは、この曲を1位として選出した。

2020年、新型コロナウイルスの脅威に対して、「音楽」はどう立ち向かったのか。この楽曲は、まさに「ポップ・ミュージック」からの一つの回答として、いくつもの時代を超えてプレイバックされ続けていくのだと思う。《全ての歌で 手を繋ごう》《僕らそれぞれの場所で 重なり合えそうだ》この短い歌詞に託された願い、祈り、覚悟、そして、約束。それら全てが、まさに「ポップ・ミュージック」の本質であり、揺るぎない理念なのだ。衣食住に与さない「音楽」は、それでも真の意味で人々を救う。そう信じさせてくれた"うちで踊ろう"は、ポップ・ミュージック史における奇跡の楽曲として、いつまでも輝き続けるはずだ。


改めて、本当に凄い楽曲だと思う。

時代のメッセージソングであり、音楽の力を信じる者たちからのカウンターソングであり、何より、老若男女が歌って踊れるポップソングである。"うちで踊ろう"、および、この楽曲に起因する一連のムーブメントは、大袈裟な言い方かもしれないが、いつか音楽の教科書や歴史の教科書に載ると思う。


そして、2020年12月31日の夜、星野源は、紅白歌合戦で"うちで踊ろう(大晦日)"を披露した。最も大きな変更点は、これまで公開されていなかった「2番」が追加されたことである。新しく紡がれた言葉たちに、僕は強く心を震わせられてしまった。


《常に嘲り合うよな  僕ら/"それが人"でも  うんざりださよなら/変わろう一緒に》
《飯を作ろう  ひとり作ろう/風呂を磨いて  ただ浸かろう/窓の隙間の  雲と光混ぜた後/昼食を済まそう》
《瞳閉じよう  耳を塞ごう/それに飽きたら  君と話そう/今何してる?  僕はひとりこの曲を歌っているよ》
《愛が足りない/こんな馬鹿な世界になっても/まだ動く  まだ生きている/あなたの胸のうちで踊ろう  ひとり踊ろう/変わらぬ鼓動  弾ませろよ/生きて踊ろう  僕らずっと独りだと諦め進もう》


星野源は、この新しく追加された「2番」で、《ひとり》という言葉を何度も歌っている。安易に《みんな》という主語の使用を避けて、極めて批評的に《ひとり》という意味合いを強調しているように思える。

このステージで彼は、既に「時代の唄」となっている"うちで踊ろう"を、そのままに歌うこともできただろうし、むしろ、紅白という番組の特性を踏まえれば、そうした最大公約数的なるパフォーマンスを求められていたはずだ。しかし彼は、どうしても《ひとり》であることを歌わなければならなかったのだと思う。

巷には、「音楽で心を一つに」「音楽で繋がろう」というメッセージが溢れていて、もちろん、そうしたメッセージ自体には、決して悪気や悪意はないはずだ。しかし、私たちが思考を止めて、漂白された「綺麗事」だけが一人歩きしてしまう時、あまりにも大切な本質が擦り落ちてしまう。それは、アーティストにとって不本意なことであるだけでなく、とても危険なことだと思う。

だから僕は、あの紅白のステージで、《ひとり》であることを繰り返して歌ってくれた星野源を、絶対的に信頼している。

私たちは結局どうしようもなく「ひとり」ぼっちで、その切ない前提を認めた上で、それでも、他者と想いを重ね合いたいと強く願う。そして私たちは、その「願い」を、音楽に託すのだ。


新しく追加された「2番」の後に、彼はこう歌っている。

《ひとり歌おう  悲しみの向こう/全ての歌で 手を繋ごう/生きて抱き合おう  いつかそれぞれの愛を/重ねられるように》

とても鋭く「ポップ・ミュージック」の理念を射抜いた言葉たちに、僕は改めて、強く心を打たれた。

このウィズ・コロナ時代がいつまで続くのか。それは誰にも分からないけれど、この楽曲は、いくつもの時代を超えて輝きを増し続けていくのだと思う。




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松本 侃士
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