だから僕は、今日も「言葉」を食べて生きる。
僕には、いつだって、思い出さなければならない「あの日」がある。
2011年3月11日。
世界中が祈りはじめた日。
あの日のことを忘れないために、僕は今日もこの本を手に取る。
「#prayforjapan」というTwitterのハッシュタグを、あなたは覚えているだろうか。それは、英語圏に住むある男性の投稿から始まった。東日本大震災の発生から十数分後、彼は、日本で起きたその悲劇をニュースで知り、「prayforjapan(日本のために祈る)」というコメントを発信した。その投稿をきっかけに、Twitter、Facebook、InstagramなどのSNSを通して、世界各地から日本への祈りや応援のメッセージが届けられた。
そして、震災当夜、当時20歳の大学生が、こうした世界的な動きをわかりやすく可視化したウェブサイト「prayforjapan.jp」を立ち上げる。このウェブサイト、およびハッシュタグ「#prayforjapan」に寄せられたのは、海外からのメッセージだけではなかった。途方もない悲しみを前にして、それでもお互いを信じ、助け合う。この国に生きるそうした人々を讃える言葉たちで、いつしかタイムラインは満たされていった。
あの夜のことは、今でも鮮明に思い出せる。3.11の当時、19歳の大学1年生で、まだ何者でもなかった僕は、日本中が混迷を極めるその壮絶な状況を前にして、何もできなかった。即座に被災地のために行動を起こすことも、今の自分に何ができるのか冷静に考えることも、いや、もっと言えば、落ち込むことも、悲しむことも、怒ることも、もちろん笑うこともできなかった。そう、本当に何もできなかったのだ。あの時、僕の感情は死んでいた、と言ってもいいかもしれない。
しかし、いや、だからこそ、僕は無意識ながらに「#prayforjapan」に集まる「言葉」たちを、貪るように読み漁っていた。
そして、世界各国から届いたメッセージも、1分1秒ごとに増えていった。
こうした数々の「言葉」に触れていく中で、僕は少しずつ、自分の感情の輪郭を取り戻していった。決して無理することなく、落ち込めるようになった。自分に嘘をつくことなく、悲しむことができるようになった。ありとあらゆる理不尽に対して、まっすぐに怒れるようになった。ゆっくりとではあったけれど、笑えるようになった。そして気付いたら、ボロボロと涙を流していた。あの夜のことを、僕は忘れたくはない。
震災翌月の2011年4月、「prayforjapan.jp」に集まったメッセージを一冊にまとめた本が、講談社から発売された。そのタイトルは『3・11 世界中が祈りはじめた日 PRAY FOR JAPAN』。書店でこの本を手に取り、帯に書かれた次の一言を目にした時、僕はとてつもない衝撃を受けた。そして、恥ずかしいほど泣き崩れてしまった。
そうだ、「言葉」を食べて生きているのだ。あの日、正しい感情を取り戻すことができたのも、昨日より今日が少しでも良い一日になるように行動を起こそうと思えたのも、日本中の知らない誰かと一つの同じ気持ちで繋がれたような思いを持つことができたのも、全て「言葉」のおかげだ。
人間は、僕は、「言葉」を食べて生きている。
あの日から、もうすぐ9年の月日が経とうとしている。しかし、この確信は一切揺らぐことがないばかりか、日を重ねるごとに深まり続けている。
東日本大震災直後、何者でもなかった自分自身に絶望していた、あの日の僕に、こう伝えたい。
たくさんの「言葉」を食べて欲しい。
日々の生活に溢れる、たくさんの「言葉」の力を、信じ続けて欲しい。
そうすればきっと、僕は、強く生きていけるはずだから。
最後に。
今、この記事を読んでいる他でもない「あなた」へ。
顔も名前も知らない「あなた」に、一つだけ僕の願いが届くとしたら。僕は「あなた」に、希望について語ってほしい。その希望は、僕にとっての希望でもあるから。
そして、顔も名前も知らない「あなた」の言葉に救われているからこそ、僕は、「あなた」を言葉によって救いたい。
だから僕は、今日も新しい「言葉」を綴る。
今日は、明日は、これから僕たちが生きる全ての日々は、いつだって「あの日」の続きだ。
共にゆこう。
第二回「教養のエチュード賞」に寄せて
※本記事は、2019年6月1日に投稿した記事に加筆・編集を加えたものです。
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