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2年分の想いを込めた4日間。「JAPAN JAM 2021」を振り返る。

【5/2(日)〜5(水) 「JAPAN JAM 2021」 @ 千葉市蘇我スポーツ公園】

まず、前提として。とても胸を締め付けられることに、今回の「JAPAN JAM 2021」の開催については、その是非を巡って様々な立場から意見が飛び交っていた。

たとえ、国や自治体が定めるルールを遵守した上での開催であったとしても、こうしたご時世において、大型イベントを開催することに疑念や違和感を持つ人がいるのは事実であり、その意味で、主催者だけではなく、アーティストや一人ひとりの参加者にとっても、かつてない緊張感が漂う音楽フェスとなった。



僕は、学生時代は一人の参加者として、社会人になってからは音楽業界の一人として、その後に転職してからも一人の音楽ライターとして、この10年間、数々の音楽フェスに携わり続けてきた。その10年を振り返っても、音楽フェスの開催が手放しで祝福されないという事態は、かつて経験したことがなかった。

そうした状況の中で、僕が事前に最も恐れていたのは、音楽フェスが「分断」の象徴になってしまうことだった。「開催する」「開催するべきではない」「参加する」「参加するべきではない」など、様々な意見やスタンスがあることは間違いないが、もし、フェス開催に関する情報が正しく共有されていないことで、それぞれの断絶が加速してしまったら、それは非常に悲しいことだと思う。

実際に、今回の開催について、そうした「分断」を助長しかねない報道もあった。もちろん、各局の報道のスタンスは様々で、最後に、それぞれのニュースをどう解釈するかは視聴者のリテラシー次第だと思う。しかし中には、音楽フェスに対するネガティブなイメージを増幅することを目的としているかのような報道がいくつかあり、ただただ胸が痛かった。

今回は、そうした状況の中でも、せめて僕にできることとして、「JAPAN JAM 2021」の4日間を振り返ってまとめておきたい。



はじめに断っておくと、僕のスタンスとしては、様々な選択肢があった中で、それでも「開催する」と決めた主催者の覚悟ある決断を支持したいと思っていて、それは開催前も後も変わらずに一貫している。

僕が代弁するのもおこがましいかもしれないが、この1年間で、数々のライブやイベントが中止・延期となる中で、音楽業界は、経済的にも精神的にも何度目かの限界を迎えていた。もし、2年連続で開催が見送られていたことを想像すると、もはや言葉を失う。来年、たとえ、新型コロナウイルスの感染拡大が収束していたとしても、その時に音楽業界にライブやフェスを主催する体力が残っていない可能性も大いにあり得たと思う。

そして同時に、それぞれの主催者、および、スタッフたちは、参加者やアーティストの安全と安心を第一に考えながら、この1年間、ウィズ・コロナ時代における新しいフェスのスタンダードの確立を目指して絶え間ないトライアルを重ねてきた。その意味で、今回の「開催する」という決断は、単に一つのイベントのみを巡るものではなく、音楽業界の歩みを、次の未来へ繋いでいくための重要な一歩であったのだ。


そして、社会から大きな注目を集め、その中で何重もの意味で試されていたのは、決して主催者やスタッフだけではなかった。フェスに出演するアーティストにも、様々な迷いや葛藤があったはずで、結果として「出演しない」という苦渋の決断をした人たちもいただろう。もちろん、それぞれの選択には一切の優劣や正誤はなくて、中長期的なビジョンのもとに、お互いに認め合っていくべきものであると思う。



では、「出演する」と覚悟を決めたアーティストたちは、当日、どのようなライブを見せてくれたのか。ここで一つずつのアクトについて綴ることはできないが、その全てに共通していたのは、主催者やスタッフ、何より「参加する」という選択をした参加者たちへの感謝に満ち溢れたパフォーマンスであったということだ。

もちろん、アーティストがライブやイベントの観客に感謝を伝えることは決して珍しいことではない。しかし、あの4日間で、数々のアーティストから届けられた「ありがとう」の声は、そのステージを選んでくれたことに対する感謝という意味合いを超えて、共に音楽の未来を繋いでいく同志へ向けた「連帯」を示すものであるように思えた。

その意識は、一人ひとりの参加者も共有していたものであった。例年よりも格段に多いルールを守ることこそが、音楽の未来を守ることに繋がる。そうした一定の緊張感があったのは間違いないが、いくつもの制約の中でも音楽を楽しむ参加者たちが集まった光景は、とても感動的なものだった。

例年に比べてルールが多いとは言っても、一人ひとりの参加者の高い意識と自主性がなければ、コロナ禍における新しいフェスのスタンダードは決して実現しない。その意味で、最後まで会場内で大きな混乱やトラブルがないまま4日間の公演を完遂できたことは、今後の音楽業界にとって、とても大きな希望であると思う。



そして、そうした光景を見ながら、もう一つ感じたことがある。それは、音楽には、数々の「分断」によって引き裂かれた世界を「連帯」に導く可能性があるということだ。

僕たちが生きる社会は、より具体的に言えば、それぞれのコミュニティや、一人ひとりの対人関係は、時に、考え方や価値観、出自や置かれた状況の差異によって、いとも簡単に「分断」されてしまう。この数年間、「多様性」というテーマを掲げて、そうした溝を埋めようとする動きが全世界的に進んでいるが、それでも残酷なことに、否応もなく、そして引き裂かれた両者にとってはお互いに何の理由もなく「分断」は進んでいく。

逆に、音楽には、何の理由もなく、自分と他者を繋いでしまう力がある。ライブやフェスの会場に集まった参加者たちは、本来、それぞれが送る人生や日常も、その時々の心境も、何もかもが異なるはずなのに、「音楽が好き」という一つの共通点だけをもってして、自分とは異なる他者との間に「連帯」感を生まれる。これは、本当に不思議なことであり、同時に、揺るぎない事実であると思う。

だからこそ僕は、特にコロナウイルスによって全世界的に何重もの「分断」が加速する今、音楽を止めてはいけない、未来に向けて鳴らし続けていかなければならないと強く感じた。これは、言ってしまえば、単なる綺麗事や理想論かもしれない。それでも、そうした言説を信じる人たちの手によって、これまで何十年にもわたってポップ・ミュージックの歴史は紡がれてきた。それは、これから先の未来も変わらないと思う。これまでの人生において、何度も音楽に救われてきた僕は、その綺麗事や理想論を信じ続ける。



今回の「JAPAN JAM」の開催が、社会全体からどのような評価を受けることになるのか。それは、まだ少し時間が経たないと分からないかもしれない。それでも、今回の開催は、音楽業界の未来にとって必要な、そして確かな意義のあるものだったと、僕は現場を見て確信した。だからこそ、この一歩が、次の季節に繋がることを信じて待ち続けたい。



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松本 侃士
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