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野口雨情「七つの子」の「七つ」は7羽

標題:岡本帰一「七つの子挿絵」『金の船』第3巻第7号(1921年)、1頁から。

七つの子

烏なぜ啼くの
烏は山に
可愛七つの
子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛 可愛と
啼くんだよ
山の古巣へ
行って見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ
・野口雨情(1921年)「七つの子」『金の船』第3巻第7号、1頁。

野口雨情の童謡の中でも代表作であり、本居長世の作曲したものもよく歌われている。この童謡には、次の原型といわれる「山ガラス」がある。

山ガラス
烏なぜ啼く
烏は山に
可愛い七つの
子があれば
・野口雨情(1907年:明治40年)月刊詩集『朝花夜花』自費出版。

「七つの子」の童謡は後に志村けんのテレビ番組で替え歌(ネタ元は別番組の視聴者のよう)が使われ、多くの人が別の表現として認識した。持っている意味と情感は異なるが、もとの童謡よりも、別の意味で、端的に表現する結果となり、印象深いものとなってしまった。

野口雨情の「七つの子」について、「7」には二つの考え方が語られてきた。

一つは、「七つの子」を7歳と理解すると、烏は1年未満で飛び立ち、餌を自分で取るので、腑に落ちない。ちなみに、カラスの平均寿命は10~15年ほどである。しかし、ここでの「七つの子」は7歳と理解する方が童謡の訴える情緒を理解しやすい。このように考えるのは、中世にも、7歳は幼子を代表する年齢として使われてきた。そのような考え方・観念は根強く伝わってきていると考えるのが自然である。親の心情をカラスの子に掛けて詠んだものであると考えられる。言い換えれば、カラスを七つの幼子に模して、親の愛情や心掛け・心持ちを表現したものであると思われる。
・「7歳は幼子を代表する年齢」については、小野恭靖(2002)「子どもを歌う歌謡史:中世日本における子どもの年齢範囲」『日本文学』51巻7号、1-9頁。

もう一つは、ここでの烏は「可愛」とされているので、小ガラスであろう。子烏が7羽いるとすれば、烏は5羽くらいまでしか卵を産まないので、事実にそぐわない。しかし、7という数字はよく使われているので、雨情ばかりではなく、多くの人々の脳裏にも焼き付いているはずである。数としても、7羽は巣の中でいっぱいになるくらい多いが、はみ出るほどではないだろうし、存在感がある。また、5羽以下では、少なく、寂しい感じを抱かせるし、語感としてもぎこちなくなる。

このように、人々の論争が見られたが、雨情本人が自分の作品について25編程選び、その内容・趣旨を1925年(「七つの子」を発表してから4年後)に説明している。「七つの子」の場合、「七つの子」は複数であることを明確に記している。以下、引用。

静かなる夕暮れに一羽の烏が啼きながら山の方へ飛んでいくのを見て少年は友達に、
『なぜ烏はなきながら飛んでゆくのだらう』と尋ねましたら、
『そりゃ君、烏はあの向こふの山に多(たく)さんの子供たちがいるからだよ、あの啼き声を聞いて見給へ、かわいいといっているではないか、その可愛い子供達は山の巣の中で親がらすのかへりをきっと待っているに違ひないさ』
という気分を歌ったのであります。注)
注)野口雨情(1925年:大正14年)『童謡と童心芸術』同文館、第5章、197-199。

このように考えると、「七つの子」は文字通り7羽の子ガラスといえる。岡本帰一の挿絵はそれに合わせた表現となっている。

参考文献
・小野恭靖(2002)「子どもを歌う歌謡史:中世日本における子どもの年齢範囲」『日本文学』51巻7号、1-9頁。
・野口雨情(1925年:大正14年)『童謡と童心芸術』同文館。