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読書メモ:短編小説と呼ぶにはなお短い「有難う」

*備忘録として書いたもの。

金井景子(1991年)「代表作ガイド」によると、川端康成の「掌の小説」は大正12年(1923年)から昭和39年(1974年)までほとんどの全生涯にわたって書き継がれている、とある。

小説の長さからくる分類は、「長編小説」「中編小説」「短編小説」を主とする。長さだけの観点から見ると、400字詰原稿用紙で、1枚から15,6枚程度の作品がある場合、「短編小説」には当てはまらない。この程度の長さの作品を「てのひらに乗る位の小さな小説」と言う意味で、「掌の小説」としている。(※「タナゴコロ ノ ショウセツ」、とも称せられる。)

「掌編小説」(あるいは、「掌篇」)は、通常、一つのテーマで記述される。記述意図・趣旨が明確である作品が多い。しかし、態様あるいはスタイルが定まっているとは言えず、むしろ、多様である。

「『掌の小説』から、本書に収録されているのは、4編である。「有難う」「心中」「金銭の道」「日本人アンナ」である。

このうち、「有難う」は、1920年代乗合自動車事業が普及していく過程での一コマが綴られている。「柿の豊年で山の秋が美しい」シーンの中で展開される物語を表現したものである。豊年の柿で、美しく色づく景色の中で展開される、親子の事情と情感を、運転手の「有難う」に乗せて伝えている。

「母親が汽車のある町へ娘を売りに行く」ために、乗合自動車に乗る。運転手は端正な姿勢を崩さず、追い越して行く乗り物(馬車、大八車、人力車、馬)に、追い越す度に、澄んだ声で「ありがとう。」という。

長距離の乗り合いで、運転手と話を交わし、母親は心変わりしたのか、娘と一緒に帰ることになる。「こんどいい時候になったら」と念を押しながら、豊年の柿で美しく色づく景色の中を帰って行く。

大正時代にはあり得る物語を淡々と「有難う」の繰り返しの中で表現し、読者に一抹の安堵をもたらすが、憂いと不完全な晴れの中で話しを閉じる。

参考書
・金井景子(1991年)「代表作ガイド」田久保英夫・他『群像 日本の作家13 川端康成』小学館。