バイデンと同い年:あんな時代、こんな時代①
画像:Keynesはhttps://www.raptisrarebooks.com/product/the-general-theory-of-employment-interest-and-money-john-maynard-keynes-first-edition-signed-1936-2/から、Marxは https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Zentralbibliothek_Z%C3%BCrich_Das_Kapital_Marx_1867.jpgから。
*事象には誤りがあり得る。物語として。
アメリカ合衆国で1929年(昭和4年)10月に株価が暴落し、経済恐慌が起こり、世界中に波及した。翌年には、日本も「昭和恐慌」に突入した。産業革命以来、はじめての深刻な経済恐慌であり、社会的に困窮した環境にあった。
世界的な経済不況を前にして、失業者が溢れ、それを目の当たりにしたケインズKeynes(1883-1946年)は、1936年『雇用・利子および貨幣の一般理論』を世に問うた。それ以後、ケインズ思想は経済政策・活動に永続的に影響を与えることになる。
ちなみに、マルクスMarx(1818-1883年)は、『資本論』1867年に第1部が初めて刊行され、1885年に第2部が、1894年に第3部が公刊された。その前後から、マルクス思想は経済政策・活動に永続的に影響を与えることになる。
経済的混乱の中、日本は活路を見いだすべく、いわゆる資源(エネルギー資源が重要)を求めて、海外進出を遂行する。しかし、アメリカが日本の海外進出を抑えるため、石油の輸出を禁止したのを契機に、1941年12月にハワイの真珠湾を攻撃し、日本とアメリカは太平洋を舞台に戦争に突入した。
大戦中のさなか、1942年中頃に誕生する。バイデンは年末近くに誕生するが、年としては同じになる。当時のアメリカと日本の国力の差を推した調査がある。それによると、日米の国力には、雲泥の差があると言っても良い。
日本では、戦時下から戦後一時期まで、配給制度が採用された。昭和19年頃から食べ物も欠乏し、救荒食として、イモやイモの蔓を食べて飢えを凌ぐような環境だった。アメリカでは、戦地を別として、日常生活が制約を受けるようなことはほとんど無かった。日本とアメリカの日常生活には雲泥の差があったといってもよい。
終戦後、しばらくしてアメリカの伯母から従兄弟の写真が送られてきた。従兄弟は自家用車の側に立っていた。自動車トラックを家で購入するのはかなり先である。
* * * 続