「ぼけっと」は訳せるか はたまた 「のほほん」は
「ぼけっと」は「何もしないで,ただぼんやりとしていること」の意。
「なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち。」
としたのは、エラ・フランシス・サンダース著/前田まゆみ訳(2016年)『翻訳できない世界の言葉』創元社、38-39頁。
「積ん読」も訳せない言葉のようだ。ごくうは「乱読派」。
テーマを見つけると、「精読派」になる。しかし、あるテーマを概説・記述した本には余談が多い。「飛ばし読み」となる。もう一点、説明なき「お題目」に出くわすと、本を投げ出す。
いやいや本の読み方が題意ではない。「のほほん」は訳せるか。説明調だが、
人の脳に「何も考えない状態」が発生するとき、ひらめき(inspiraion、Aha Moment=a moment of sudden insight or discovery)が起こりやすい、という。中山伸也はシャワー中に「ips細胞」がひらめいたという。よく知られているのは、アルキメデスが浴槽に入っていたとき、自分の考えていた問題の答えを見つけ、「ユーレイカ」と叫んだ。
海を「ぼけっと」見ているときや、「のほほん」としているときに、何かがひらめくだろうか。ただ、ひらめきを誘発するためには、多くのことが脳に蓄積されいることが必要なようだ。本で言えば、「多読」となるのか。これも英語では、「Extensive Reading」と出たが。
本
・エラ・フランシス・サンダース著/前田まゆみ訳(2016年)『翻訳できない世界の言葉』創元社。