夾竹桃の花⑪ 覚えておいてね
11 夾竹桃の花⑪ 覚えて追いてね
ーーー受験
彼女は友人の発病から立ち直るように一心不乱に勉強する。
気分転換に、時に誘ってくるが、その機会はほとんどない。
後期末試験が終わり、彼女の入学試験が終わる。拓は彼女の入学試験中に郷里に帰った。
彼女が京都から帰ってくると、アパートにやってきた。彼女は滑り止めに京都の私立大学を受験していた。理由を尋ねると、
「隣に植物園があるんじゃ。」
受験ついでに、京都の植物園を見てきたらしい。
「関西にもヤマツツジが多いんよ。」
「そうなん。」
「それにモチツツジ。」
「葉や花茎が粘るやつ?」
「そうそう、交雑種ができるんよ。それをミヤコツツジって言っちょる。」
「その植物園に比叡山から採ってきたミヤコツツジがあるんじゃ。」
「葉が違うんよ。」
「そうなん。」
「あれはミヤコツツジじゃないね。」
「京都に行くようになったら確かめるけどね。」
ーーー春
入学試験も終わり、緊張感が緩んだ日が来ていた。
彼女が昼過ぎ茶色の紙袋を持ってきた。
「コーヒーを買ってきた。入れて。」
コーヒーサバーで入れる。
彼女はコーヒーを飲みながら、
「どんな人と結婚したいん。」
「そうじゃね。」
「君みたいな人って、いわんの。」
拓は、図星なのに、冗談でも言えず、口ごもっている。
「言って。」
彼女は強い調子で促す。
「君みたいな人がいいな。」
「一人娘よ。それでも・・・」
返答に困っていると、
「そんなんじゃけー。もうええわ。」
彼女はコーヒーを飲み干すと、寝転がった。
「あんたも並んで寝んさい。」
彼女に言われるままに横に並んで寝る。
「本当に寝ちゃいけんよ。」
彼女は手を伸ばしてきて、小指を絡めてきた。
「いい人ができんかったら、言ってきんさい。うちがなっちゃげる。」
拓は軽く返事するだけで何も返せず、黙っている。
「ウン・・・」
拓は遠くから麗しい女性を見るような目で天井を見上げる。
ーー
「そうじゃ。今夜はうちが料理しちゃる。どう。」
「いいね。」
拓の声が弾んでいる。
「あんたとスーパーで買い物って、初めてじゃ。楽しかろう。」
「うん。」
「もうちょっとはっきりいいんさいや。」
「楽しいよ。」
嬉しいくせに、抑えた調子になってしまう。
買い物を終えた帰りに、彼女は家に寄り、調味料一式などを持ってきた。家から持ってきたエプロンをして、手際よく調理する。
「はい、うちの家庭料理よ。」
皿は揃っていないが、綺麗に盛り付けた皿を並べる。
「下宿じゃからしょうがないね。でも、新婚家庭みたいね。」
彼女は相づちを求めない。
彼女は料理上手だった。
「頭もいいが、料理の腕もいいね。」
拓は感心しながら不揃いの皿に盛り付けられた料理を平らげる。
ーーー入学
彼女は第一希望通り、理学部に入学した。
しばらくして森戸道路で出会った。彼女は白いシャツに紺のジーンズを着こなしている。村井佳代子のような艶をおびていた。拓は「紅顔の美少女だ。」と心の中で呟くが、表情には出さない。どこか弱々しさが感じられ、気に掛かる。キャンパスで出会う彼女は地を出さない。
彼女の友達を紹介されてからしばらくして、その友達からあきれかえるように、揶揄われる。
「あなたたち、仲がいいわね。」
彼女は開き直るように相づちを打つ。
「そうよ。」
答えながら、拓を見る。それに頷いて応える。
講義の時間帯が同じ時には、午前中の講義が終わると、昼食に一緒に大学会館に行き、三色弁当を食べる。
「これ好きなんだ。」
「あら、お安いご用ですわ。」
今までにない口調で応える。
流行りだしたスナックで昼食を取ったときにも、スパゲティを一緒にたべながら、
「こんなのいいね。」
「あら、お安いご用ですわ。」
笑顔を作りながら応える。彼女の作る料理を思い浮かべる。
ーー
もう6月になっているので、平和記念公園では、夾竹桃の花が咲き始めていた。原爆の子の像にも多くの観光客が押し寄せている。原爆ドームも初夏の陽気の下に晒され、原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)にも多くの人が参っている。しかし、あの時以来、二人で平和公園に来ることはなかった。
ーーー日赤病院
大学の斜め前に日赤病院がある。大学の石柱造りの門まで来たとき、母親と二人で出てきていたのか、電停に向かう二人の姿を偶然目撃していた。
「なにかな?」
疑問がよぎっても近い距離ではない。次に会ったときにも、わざわざ聞く気にはなれない。
ーーー
夏休暇が近づいていた。
アパートの部屋を片付け、出かけようとするとき、紙パネルが出た。
「そちらに行く」
同じ講義時間帯のはずだが、胸騒ぎを覚える。
「どうしたんだろう。」
頭の中で反芻する。
しばらくして、階段を降りてゆくと、彼女はいつものようにアパートの入り口で待っていた。案内して2階の部屋に連れて行った。
彼女は深刻そうな気配を感じさせている。
普段着で来ていた。彼女は洗い晒したワンピースを着ていた。
彼女は重い口を開いた。
「私、明日入院します。」
拓はなんと声かけてよいか分からず、次の言葉を待っている。
「明日朝、・・・日赤に入院します。」
拓は推し量ろうと煩悶する。
「そ、そうですか。」
会話にならない。理由を聞こうにも言葉が出ない。
彼女は必死に堪えているようだ。肩が小刻みに震えている。
「私ね。・・・わたしね。・・・」
彼女は言葉を継ぎ足すこともできず、繰り返している。
ようやく言葉を繋いだ。
「当分、入院することになりそうです。」
拓も言葉にならない。
「ど・・どうして・・・」
彼女も言葉にならない。
「私・・・わたし・・・」
彼女は言葉を探す必要はない。ただ伝えれば良い。でも、伝えることができず、藻掻いている様子が窺える。
彼女の目から泪が溢れ出し、拓に抱きついてきた。肩で小さく嗚咽する。泪が溢れて止まらないようだ。拓の肩のシャツが泪で濡れていく。拓は右手で彼女の後ろ頭を髪をなぞるように撫でる。そのまま背中に移し、軽くたたく。彼女の嗚咽は止まらない。
拓はもう彼女の言うことを感じ取っていた。
どのくらい時間が経ったのだろう。彼女の泪は流れているが、嗚咽は出ない。二人はゆっくりと離れ、向かい合ったまま、両手を繋ぐように軽く握っている。彼女は何も言わず、見つめる。拓も何も言わず彼女の動きに合わせて両手を繋ぐように軽く握る。
やがて、彼女は両手を緩めていく。二人の手が名残り惜しそうにゆっくりと離れていく。彼女が小さい声で。
「ありがとう。」
拓は目で応える。
彼女は思い切るように出入り口の戸まで進むと、振り返り、
「私を・・・覚えておいてね。」
彼女はきびすを返すと、戸の所で立ち止まったまま、もう振り返りもしない。明らかに涙ぐんだまま佇んでいた。肩が小さく震えていた。
足を踏み出そうとしても、彼女の緊張感がひしひしと伝わり、動けない。
やがて、彼女はこちらを振り返ることもなく、思い切るように、ドアを開け、出て行った。
為す術もない。出て行った彼女の姿が陽炎のように舞う。
ーー続く⑫