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夾竹桃の花⑫ 爆心点

爆心点

彼女とは長い間会えていないし、見かけることもない。まだ、入院しているのだろうか。拓は思い切って家を訪問したくなっているが、原爆の子の像の前で、呟くように言っていた言葉を思い出していた。
「わたしも・・・」
彼女は言葉を飲み込んでいた。聞くのが怖かった。

彼女の部屋のカーテンは閉まったままで部屋の電気も点いていない。窓を開けて紙パネルをかざすこともない。

翌朝、1限目と2限目の講義があり、朝早く出かけた。図書館での学習を終え、帰路についた。家近くの角を曲がると、白い張り紙が目に飛び込んできた。「忌中」の文字を見た途端、心が騒いだ。
「まさか・・・」
家を訪ねようと心が藻掻くが、思い切れないもどかしさに狼狽える。

翌日家を出たが、「忌中」の張り紙を見ながら角を曲がる。朝倉拓の足取りも重く、頭の中でなにやら反芻している。いつの間にか、自然と御幸橋に寄り道していた。

御幸橋の欄干にもたれ掛かりながら、川の流れを見るとはなしに眺めている。彼女の顔や表情・仕草が代わる代わる思い出される。

後ろを地元の二人組の壮年女性が呟くように話しながら通る。そのうちの一人に見覚えがあった。彼女が礼をした人だった。

「中川さんとこ・・娘さん、なくなっちゃったんだってね。」
「原爆症とかいうよ。」
親しい間柄なのか、沈んだ感情が隠されていない。
「こんなに・・・時が経っているのに・・・」
「お気の毒にね・・・」
「ほんと・・・」
「好きな人がおっちゃったそうよ。」
「そーー・・そりゃ・・・」
言葉が詰まっている。
二人は自分達を納得させるように話しながら遠ざかっていく。

拓の目に涙が滲んでくる。欄干にもたれ掛かかったまま、手の拳を強く握りしめる。時が止まったかのように風景が漂い、街の音が消えていく。

長い時間が止まったように思える。川は悲しみや思い出を流すように流れていく。手の拳が緩んでくる。

やがて、朝倉拓は思い切るわけでもなく、思い残すわけでもなく、キャンパスに向けて歩き始めた。足取りの重さに逆らわず、不確かな足取りで歩いて行く。

講義が終わり、足が自然と鷹野橋に向かって歩き出した。午後1限目の講義が終わってもまだ陽は高い。6月の空は夏をいつでも迎えられるように強い青さを増している。朝倉拓は平和大橋に向かって歩き、平和公園の中央部を歩いて行く。「平和の火」を前に二人でお祈りしたことを思い出しながら、祈る。
「もう、二人で来ることはない・・・」
喪失感が襲い、寂寥感が襲ってくる。

相生橋の近くまで来ると、原爆ドームが川岸の右側に見える。ドームは昼過ぎの光陽をまともに受けている。

瞬間、彼女の声が聞こえた。
「夾竹桃の花・・・好きじゃないんよ。」
拓は、その意味が分かる。心が震えるまま、両手の拳を強く握りしめ、夾竹桃の花の側に佇んでいた。強く握りしめた拳が怒りを抑え込むように小刻みに震える。

拓はゆっくりと爆心点を見上げる。あの青い空、放たれる前の空の色。およそ600メートルの高さで閃光を放ち、やがて青い空に戻ったが、昔の青さにもう戻ることは決してない。

拓はゆっくりと爆心点を見上げる。右手の拳を握りしめたままゆっくりと爆心点に向かって突き出す。

ー完ー

Protest against Atomic Bomb.

ーーエピローグへ

夾竹桃の花① 夾竹桃の花
夾竹桃の花② 御幸橋
夾竹桃の花③ 薫風寮
夾竹桃の花④ 紅顔の美少年
夾竹桃の花⑤ 制服
夾竹桃の花⑥ 私服
夾竹桃の花⑦ 植物学
夾竹桃の花⑧ 原爆の子の像
夾竹桃の花⑨ 植物図譜
夾竹桃の花⑩ 友の発症
夾竹桃の花⑪ 覚えて追いてね
夾竹桃の花⑫ 爆心点
夾竹桃の花 エピローグ・キョウチクトウ