第五回 前編『ニッポンの書評』/豊崎由美(光文社新書)
書評とはいったい何なんでしょうか。
既にこのページも5回目をむかえるなか、今更な書きっぷりで恐縮ですが、書評については実はぼんやりとしかわかりません。所謂批評ほど堅苦しくはないし、かといって感想や解説では物足りない。程よい考察と内容説明、といったところでしょうか。わかりません。
連載しておいてなんですが、いまから書評について学ぼうという体たらく。そして手にしたのがこの一冊です。
新書です。新書といえば手頃にまとまった知識が手に入るおじさんなどがカバンに潜ませるあれです。最近ではYouTubeなどでもっと手軽に更に薄く学習(?)する人は多いようですが、その元ネタとしてもまだまだ健在の新書です。
たまに新刊本のことを新書と言われる方がおり、「今度開く本屋さんには新書(新刊の意味)は置かれるんですか?」と質問される事もしばしばで、「新書は、まあ、いいのがあれば……」などと本来の「新書」の意味のつもりで答えていて、しかし会話としては成立はしており、ただ何となくなぜ皆「新書」を? と奇妙に思っていたのですが、それがある日「新刊本」という意味の事である「新書」ということに気がついて腑に落ちたあの「新書」です。
作者は権威のある作家だろうが作品の内容次第では容赦なくメッタ斬る、書評家の豊崎由美氏です。氏の読書遍歴や嗜好性は共感する事も多く、学ぶならばこの人しかないのではないか、との事で入手した一冊。では何故積読だったのかといえば、実は積み歴は短くこの書評ページをいただいて以後にはなります。しかしこの期に及んでもまだ未読で、且つ今こそ独学のため読まなければならない内容ではないのかと思い読みはじめるのですが、書評の大家が書いた「書評」について書かれた本を、素人青二才が書評するという、不遜にもほどがある、失礼且つ倒錯した回に今回はなります。
恐ろしいのはこの本を読んだ後、恥ずかしくて今後書評などといってここに何も書けなくなるのではないかという事ですが、覚悟を決めて件の新書に手を伸ばすより他ありません。それでは、いろんな意味でさようなら。