生きていれば
学校に行くか行かないかの尺度を外して、人間という動物として生きていくことに焦点を置くようになった。毎日をいかに楽しく過ごしていくか、せめて家のなかは笑いに包まれる雰囲気にしていこうと思った。たとえると道もない歩くことさえ大変な雑草だらけのところを我が家はその雑草で遊びながらどこに行くかも決めずにみんなでワイワイ歩いている感じだ。斜め上を見れば高速道路があって車が通行していたり一般道を沢山の人たちが一列に並んで歩いていたりしている。中にはこちらを見て「ああゆう風にはならないように。」と子供に諭している親もいる。でもこちらからするとここに下りてこないなんてもったいない、人生は道路を歩いていれば安心かもしれないが道なき道の楽しさもあるんだよ!と内心は道路にいけば楽だろうなと思いつつ今を楽しもうと決めた。
よく不登校のお子さんがいると、「どうやって勉強を教えたの?」と聞かれるが我が家の考え方としては、生きていく上で必要な事としての学びだ。
昔からよく言われている読み、書き、そろばんだけでも知っていれば日本という国で生きていけると思ったので、子供にもこの社会では文字が読める事と自分の名前くらい書けること、そして買い物などお金と付き合っていくことが必要なので算数程度は自分でやってねと伝えた。九九くらいは必要だと思いチャンスを狙って教えようとしたが子どもに、「自分の方法で計算するから九九は知らなくていい。」と言われてしまった。今でも彼らはどうやって計算しているのか知らない。私は九九は覚えたほうがいいと今でも思うが本人の考えを尊重した。
自己責任という事をいつも子供に言った。何をやってもいいよ、自由だよ。だけど責任も取るんだよって。自由と責任はペアであって、自由だけで責任は無いなんておかしい、と小学校入学時の子供にも伝えた。私は子供扱いはせずに対等な人間として話した。だって自分もたいした人間でもないから偉そうに言えないでしょ!
こうやって楽しく孤立していた。