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カール・マルクス 1


カール・マルクス(1818-1883)は、19世紀の思想家であり、その理論の体系は「マルクス主義」と呼ばれている。レーニンの思想と合わせて、しばしば、「マルクス・レーニン主義」とも称され、深くその理論を信奉する人々にとっては、「科学的社会主義」であるとして受け入れられ、科学的真理であるかのように扱われてきた。

『資本論』(1867年)を書いたことから、彼の経済理論は、「マルクス経済学」の名で知られ、資本主義とそれを支える主要な経済理論に、鋭く対峙し、資本主義経済に厳しい批判を浴びせた。

しかし、マルクス主義、あるいはマルクス経済学というものは、それほど完璧なのか。皮肉にも、マルクスの思想を高く掲げたソ連は崩壊し、同じように、マルクス・レーニン主義を一つの理想として憲法の中に謳い込んでいる中国も、今や経済の後退を余儀なくされている現状を見るとき、ソ連に続く中国共産党の崩壊劇を近いうちに見るのではないかという観測もささやかれている昨今である。

何が問題なのか。一つには、マルクスの哲学である。ヘーゲル哲学の精髄である、いわゆる、弁証法哲学をマルクスは重視するが、それを物質の発展法則に適用し、矛盾による対立物の統一と闘争という法則から発展がもたらされると考えている。簡単に言えば、「矛盾」と「闘争」が発展の契機となるというのである。果たしてそうなのか、検証が必要だ。

二つ目は、歴史の捉え方である。唯物史観(史的唯物論)と呼ばれる歴史観が、実際の歴史と照らし合わせて見るときに、妥当なものかどうか、これも検証を必要とする。なぜなら、唯物史観に従えば、人類歴史の帰結は、共産主義社会の実現であると言うのであるが、本当にそうなのか。

マルクスは、『資本論』を書き上げたとき、資本主義社会はその抱える諸矛盾のゆえに、必然的に崩壊する運命にあることを告げた。しかし、現在のところ、資本主義は滅んでいない。

むしろ、共産主義国家を名乗ったソ連とその従属圏であった東ヨーロッパ諸国が滅んだ。そして、現在、様々な要因から、中国が共産主義国家としてそのまま存続するかどうか危ぶまれる状況が生まれていることを警鐘する識者もたくさんいる。

多くの人々、特に、知識人たちが、一世を風靡したマルクスの哲学、歴史観、経済理論などを金科玉条に奉ったのはいいとしても、マルクスの理論と現実は合致していない。

マルクスの問題点は端的に言えば、彼の多くの著作が学問的探究の装いを見せているのと反対に、実際には、資本主義社会を変えようとする「革命意識」が先行し、革命という目的に合わせて、都合よく、理論を捻じ曲げる牽強付会の誤謬を犯したことである。

『共産党宣言』(1848年)にあるように、「共産主義者は、自分の見解や意図を隠すことを恥とする。共産主義者は、自分たちの目的を、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを公然と宣言する。」と、おおっぴらに、暴力革命宣言をした。この目的を達成するために、理論の構築を図ったその動機こそが、疑われるのである。

マルクスが掲げる歴史観は、「人類歴史は階級闘争の歴史である」というものである。そして経済的要因が歴史を決定する力であるという観点から、歴史を記述した。

この経済的要因を中心として歴史を見るという視点の意味する所は、経済活動(生産活動)が歴史を作るということである。そしてそこから「土台と上部構造」の理論を導き出した。

土台(経済的諸関係)に照応した上部構造(意識的諸形態、イデオロギー)が、歴史の基本法則であり、土台が変われば、それに対応するかのように上部構造も変わると、マルクスは見た。

一見、もっともらしく見えるが、土台(生産力、生産関係、経済制度)が変わっても、上部構造と見られる政治、法律、宗教、芸術、哲学などは簡単には変わらないという事実が、実際の歴史であり、それゆえ、「土台と上部構造」の理論は、完全なものではないと気付かなければならない。

すなわち、マルクスが述べた土台(主体的要因、経済)は、上部構造(対象的要因、精神)を規定する絶対的要因である、とは言えないということだ。

別の言い方をすれば、存在(=物質・経済)は意識(=精神・イデオロギー)を規定すると言ったマルクスの主張は、それと反対に、意識(=精神)が存在(=物質)を規定することの方がはるかに多いという事実があるということである。

これは、マックス・ウェーバーが指摘した信仰の力(精神の力)が経済社会の発展に寄与したという『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に述べられた見解によって、唯物史観は痛い所を衝かれたと言える。マルクスにおいて、「存在と意識」(物質と精神)の関係は、主客が転倒しているのだ。

マルクスは、歴史の流れを概観して記述し、歴史の中に起きる革命の必然性を強調する。唯物史観の述べる生産力の発展に基づく歴史は、
 ①原始共産制社会、
 ②奴隷制社会、
 ③封建制社会、
 ④資本主義社会、
 ⑤社会主義社会、
 ⑥共産主義社会、
という流れになる。

原始共産制社会は階級もなく、搾取もない社会であったとする。しかし、生産力の発展とともに貧富の差が生じ、階級社会へと移行して、奴隷制社会になったと見るのである。

奴隷制社会であったギリシア・ローマは、奴隷がしばしば反乱を起こし、ついに奴隷の反乱(階級闘争)の中で、ゲルマン民族の侵入を受け、封建制社会へ移ったとする。

領主と農奴の関係で形成された封建制社会は、生産力の向上につれて、マニュファクチュア(工場制手工業)が発生し、それによって台頭したブルジョアジーは、市民革命(階級闘争)により、封建制社会を滅ぼし、その結果、資本主義社会が登場することになったと言う。

この資本主義社会も労働者の貧困と苦痛が増大するにつれ、プロレタリア革命(階級闘争)が起きて、社会主義社会へ移行すると言い、最終的に、共産主義社会が到来するという壮大な人類歴史のシナリオを描いてみせた。

しかし、このシナリオは歴史の事実から離れており、資本主義を打倒するプロレタリア革命を起こし、共産主義社会を作るというマルクスやレーニンの願望を語っているにすぎない。実際には、封建社会のロシアや中国で革命は起きたのであり、資本主義は生き残り、ソ連は滅んで、中国も青息吐息で終焉の時を待っていると見てよい。



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