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求めてないから、与えられる。
愛についてまだまだ考えている。自分の行動のひとつひとつ、それは愛に基づいたものなのか?と。
長く付き合っている仲間や家族は、お互いに何の期待もしておらず、ただその人がその人として生きてるだけで嬉しいものだ。自分に何かをしてほしいとか、自分をもっと大事にしてほしいとか、そんな欲求がお互いに無い。そしてお互いに、相手に何かをしてあげてる気もないので、相手が何かプレゼントをくれたときに、「えっ、私なんもしてないのにどうしてこんな」と、ただただ感謝だけが生まれる。求めてないから、与えられる。期待も要求も執着も無い、だからこそ、その人から貰う全てが奇跡みたいなプレゼントに感じられる。
私が信じている愛の形はそういうものなんだと思う。
お互いにお互いへの要求がムクムクと生まれてきたら、恐らくそれは人生のタイミングがズレてしまっている。またタイミングが合う時もあれば、合わない時もある。人生はそんなことばかりで、たまに生きていくのがつらくなる。
でも、その人の本当の幸せを願うならば、タイミングがズレようと、笑って「またね」とするのも愛なんだ。さみしさのあまりそれができなかったことが何度かある。さみしさのあまり相手をむちゃくちゃに傷つける言葉を放ってしまったことがある。もう同じことを繰り返したくないと、心から思う。
人に求めるものなんか、無い。全ては自分の中にある。そして、いかに自分が世界に与えられるか、それだけを考えていればいい。愛はいつも不思議に循環して、私を優しい気持ちにさせてくれる。愛は私もあなたも決して縛り付けない、愛するほどに自由になれるもの。
みんなそれぞれの愛がある。私は、私の愛を信じて、同時に、誰かの愛を尊重して、生きていきたい。