架空の話・其の7
【架空の話】
しかし、山椒を調味料として用いる文化が、日本以外にあったことに驚き、そしてまた日本も元来、東アジア文化圏に含まれることを身(味)を以て感じた。
そこで夕食を摂り終えた後も、しばらく、さきの会話の続きをしばらくした後に店を出て、それぞれ帰路についた。私が帰宅したのは21:00過ぎ頃であったが、家族は夕食を終え、それぞれ居間のいつもの場所にいた。「ただいま。」と声を掛け、居間に入ると母親が「ちゃんと先生に御礼を言った?」と少し鋭く聞いてきたため「ああ、もちろん丁重に御礼を言いましたよ・・。」と少しふてくされたように答えた。すると、報道番組を見ていた父親が「それで先生は何て言っていた?」と追討ちのように同様のトーンで訊ねてきた。これは、今回の主題であったため「ああ「歯科技工士は色々な材料を使うことが出来て面白く、今後もさらに必要とされる仕事だから、受けるだけ受けてみると良い。」って言っていたよ。それに、その専門職大学を出た歯科衛生士さんが今、先生の医院で働いているんだけれども、その人も同じようなことを言っていたよ・・。」と返答した。すると、父親は「ふうん、そうか・・。じゃあ、まあ、受けるだけ受けてみたら良いか。」と言ったきり再び、テレビの画面の方に目をやった。そして母親は、その様子を見て「それなら良いけれど、もし受かったら、向こうでどうやって生活するの?それと授業料は年間どのくらいかかって何年で卒業出来るの?」とさらに具体的なことを聞いてきたため「ええと、2年次編入だから普通に行けば3年で卒業だね・・。あと、授業料は半官半民だから思ったより安くて入学料が40万円ちょっとと、年間授業料が55万円くらいだって言っていたから、3年間で200万円ぐらいだね。」と、先日のCとの会話で出た内容をそのまま伝えた。すると、母親が「・・そのくらいだったら、どうにかなるかもしれないけれど、それで向こうでの生活はどうするの?」と、なおも問質してきたため「うん、どうにか無利子の奨学金をもらえるようにするよ・・。あと、向こうでもまた何かバイトをするよ。」と返事をした。すると父親がしばらく上を向いて沈黙した後、おもむろに「・・うん、まあ、そうする以外にないかな・・。」とだけ言って、この話題は終わった。そして、その後で母親が少し声色を変え「それで商店街のその中華料理店は美味しかったの?」と訊ねてきたため、その感想を伝えると「ふーん、それじゃあ、今度私たちも行ってみようかしら。」と母親が父親を見ながら言ったところ「うん、あの先生の舌は結構肥えているから、少なくともハズレはないなあ。」と、さきほどと比べ、若干の興味を示して返事をした。私の学士編入についての話題は、その程度のものであり、少なくとも積極的に反対されるよりかは幾分マシであったとは云える。
その後、もう少し本格的に編入試験の情報を集めてみると、願書の出願期限は6月20日までとのことであり、時間があまりないことに気が付いた。そこで後日再び、先日の続きの診療に訪問するついでに、その旨を先生に伝えたところ「論文とか書いているんだったら、そのくらい書けるでしょ。でも、どうしても分からなかったら訊ねてきてもいいよ、あと、うちのCさんに聞いてみる方が良いかもしれないね。」と云われたため、以前と比べ、少し大船に乗った気分になり、出願書類一式を一通り作成し、三度、医院を訪問し、添削のような感じで書類一式を見てもらった。せっかく受けるのであれば、その程度はしておいた方が良いだろうと考えたのである。そのようにして先生とCさん二人に見てもらいつつ志望理由書や自身の推薦書の作成を行ったわけであるが、この推薦書は、募集要項にしたがうと、現在私が通うA大学の指導教員に書いてもらうということになっているのだが、先ずはじめは、こちらで作成したものを持って行くのが通例とのことであり、はじめに私がドラフトを作成し、それを先生、Cさんに「文系の教員が書いた推薦書であることを念頭に置いて添削してみてください。」と云って見てもらったわけだが、これが思いのほかに大変というか面倒であった。そうこうして、どうにか見られる内容の志望理由書と推薦書が出来、そのうちの推薦書を、既に学士編入試験受験の意思を伝えていた指導教員に見せたところ、文面を一通り見て「ふむ、これはなかなか上手く書けているね・・。それじゃあ、これをもとにちょっと手直ししましょう。それでデータの方はメールの添付で私の方に送ってください。」との返事をもらい、出願期限まで残り一週間程度で、出願書類一式の郵送への目途が立った次第である。
ちなみに、このA大学での私の指導教員は、海外に長く留学していたためか、さまざまなところが若干日本人離れしており、歯科医院の先生と比べると、毛色は大分異なるが、それでも、やはりスゴイ人であると云える・・。また、私はこの指導教員が受け持つ初めての院生であり、少し放任気味のところはあるものの、研究の経過報告などでは鋭い質問をされることが多かった。年齢は私よりも10歳程上だったと思うが、妙に老成したような意見を言われる半面で、狙っているのか分からないが、実年齢に合わないような行動を採ることも多々あり、たとえば、研究室での会話の際、話題が1920・30年代のファシズムとなり、突如、当時のイタリア国家ファシスト党統領(ドゥーチェ)であるベニート・ムッソリーニの演説の真似をはじめた時は、それまでのハナシが真面目なものであったことから、少し驚いて、笑いそうになってしまった。また、去る12月の指導教員のご自宅で開催されたクリスマスパーティーでは、ご自宅前に目印として帝政ドイツの軍艦旗が掲げられていたが、あれは冗談であったのか真面目であったのか未だに分からない・・。
さて、ハナシは横道に外れてしまったが、以上のような経緯を経て、どうにか出願書類一式を作成し、無事に郵送することが出来た。」
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!