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鶴見線ホームにある小さなプレート

鶴見駅鶴見線ホームに小さな小さなプレートがある。その存在を知ったのは『神奈川の中の朝鮮』(1998 明石書店) という本を読んだからだ。早速行ってみた。鶴見線のホームは二つあり、そのプレートがあるのは奥のホームだ。 その中央に時計とプレートがある。 プレートは大きさ横 20 センチ、縦 8 センチの銅板。 とても小さい上にもう時代を経ているせいで、読むのも難しくなっている。プレートにはこう書いてある。

     贈
            皆さんお元気で
                   朝鮮民主主義人民共和國
                   鶴見地区帰國者一同



このプレートは 1959 年から始まった北朝鮮への帰還事業で、鶴見を去った人たちが残したものだ。時計を寄贈した際に設置され、時計は今も時を刻んでいる。駅員に聞くと、あまりに古く、設置の時期や経緯について知っている人はいないという。 これはいつ設置されたのだろうか。帰還事業は 1959 年から中断を挟みながら、 1984 年まで続いているが、帰還者は 1960 年と 1961 年に集中している(帰還者総数約 94000 人、1960 年約 49000 人1961
年約 23000 人)。とすれば、鶴見の人が帰還した時期もこのあたりだと思われる。前掲書には「いまも鶴見朝鮮初級学校の子どもたちが時計の掃除を続けています」と書かれている。


そこで鶴見線鶴見小野駅のすぐそばにある、 朝鮮初級学校を訪ねた。鉄筋3階建てのきれいな校舎である。校庭からは園児たちの元気な声が聞こえてくる。話が聞けないかと正門に回ると、学校関係者らしい男性がやってきた。すぐ声を掛け、話を聞くことが出来た。男性は60 代のコリアン L さん。彼の話は意外なものだった。ここにいる子どもたちは鶴見の子ではなく、川崎の子どもたちなのだ。鶴見の園児は数年前から神奈川区沢渡の学校に行っており、 現在建て替え中の川崎朝鮮幼稚園が仮校舎として使用している。 園児たちが川崎に戻った後、ここがどうなるかは未定だという。


設置されてから 60 年以上経った今、このプレートを見る人はいない。「皆さん、お元気で」と言って去ったコリアンたちはどんな気持ちだったろうか。厳しいながらも同胞たちと楽しい生活を過ごした鶴見。そこに残るコリアンを思いながら、希望に燃えて旅立っていった。だが、 北朝鮮での生活もまた厳しいものだった。 このプレートを見るとジーンとこみ上げてくるものがある。

(文 西田英明)

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