わたしという「オンナ」 3
前回までの記事はこちら。
わたしという「オンナ」
わたしという「オンナ」 2
前回の記事を書いた後、
この後どうしたものか…
と、けっこう途方に暮れた。
自分の昔話でも書こうかと
あれこれ思い出して
ノートに書き出してみたら
ものすごくつまらないものができそうで
あわててやめた。
別に、わたしは
誰かや何かへの不満やグチを
書きつらねたいわけではないのだ。
普通に、
父と母から
それぞれの価値観を
教えられた。
そして、それを
自分に採用すると決めたのは
自分なのだ。
ひとつ、
気付いたことがある。
わたしの、この
オンナとしての生きづらさは
父からオンナへの評価に
由来するものが大きいと
思い込んでいた。
女たるもの
妻たるもの
母たるもの
かくあるべき
それができないなら
おまえは
オトコからこう評価されてしまうぞ
みたいな。
まあ、そこに出てくる条件は
いわゆる昭和のオトコが求める
それで。
わたしの本質や
わたしが求める生き方とは
全く違っていた。
それを満たせない自分に
わたしはバツばかりつけていて
だから、わたしはしんどいのだと
思っていた。
でも、ふと思い出した。
母からの
「オンナとして見られないようにしなさい」
的な教えも、
わたしに染み付いているようだ。
それは、
母からのわたしたちへの
愛だったのもわかる。
わたしは女だけの、姉妹の環境で育った。
女特有のわずらわしさやいざこざ、
犯罪や異性からの視線から
娘たちを守ろうとしてくれていたのだろう。
(母自身が、わりと若いうちに
いわゆるできちゃった婚で
家庭にはいったというのも
理由になるかもしれない笑)
それを、
うるさいうるさい!
と突っぱねて、
腹やら足やら出していた時期もあったけど。笑
女性らしさや
色気みたいなものを
望んではいけない
醸しだしてはいけない
と、わたしはわたしの潜在意識に
すり込んでいたようだ。
あー、こんなこと書くの
恥ずかしい。笑
だって、それは
裏を返せば
女性らしさや
色気みたいなものに
わたしがめちゃめちゃ
憧れていたということだから。
わたしは、
父にも母にも
苦しめられていたわけではない。
ただ、それを認められない自分に
苦しんでいただけ。
自分で仕事をするようになり、
自分の本質
自分らしさ
自分軸
みたいなものと向き合うようになった。
(そんなものと向き合わなくても
個人事業主はやれるけど
どうせわざわざ雇われない選択をするなら
わたしは目一杯仕事で自己表現がしたい)
わたしにとって、その課題は
自分らしさ × わたしの望む女らしさ
という問いになるらしい。
あー、こんなこと書くの
恥ずかしい。笑
(二回目)
父が教えてくれたこと
母が教えてくれたこと
それはどちらも
異性から
他人から
オンナとして
どう見られるのか
という視点。
軽く見られないように
バカに見られないように
めんどくさがられないように
感情的に思われないように
気分屋だと思われないように
(あー、わたしは
オンナという生き物に
こんなイメージを抱いていたんだな。
そりゃ性別がコンプレックスになるわな。)
そんな他人の視点を離れて
わたしは、わたしの女らしさを
自分らしさを
表現する挑戦をするのだ。
それが
わたしという「オンナ」。